千九百五十三 玲緒奈編 「その努力を嘲笑う人は」
十一月一日。月曜日。晴れ。
世の中には、他の誰かの『努力』を嘲笑う人が多い。なのに、『親ガチャ』って話になると途端に『努力すればどんなことでもできる』と礼讃してくるんだ。おかしいよね?。
『それはそれぞれ別人が言ってるからだ!』
と言うかもしれないけど、じゃあどうして、誰かの努力を嘲笑う人たちが好き勝手言ってきたことを、『親ガチャ』って言葉を否定してた時くらいに熱心に諫めなかったの?。どうして?。
山仁さんがイチコさんや大希くんを、
『気に入らないことがあるからって誰かを叩こうとする人』
に育てないようにしていた努力を嘲笑う人もいたそうだ。なのに、それを諫めようとする人はほとんど現れなかった。それでいて、『親ガチャ』という言葉を使おうとすると、猛烈に攻撃してくる人が無数に現れる。
『時代が変わったから?』と考えようとしても、相変わらず、誰かの努力を嘲笑う人はやっぱりいて、そして、誰かの努力を嘲笑う人を諫めようとする人は、『親ガチャ』を否定しようとする時ほどは現れない。
『じゃあそれを数字で示してみろよ!』
と言う人は、『誰かの努力を嘲笑う人を諫めようとする人の数』と『親ガチャを否定しようとする人の数』が変わらないという数字を示そうとはしない。
結局、そういうことなんだろうな。
山仁さんはそんな不毛なやり取りに時間を割くよりも、徹底して自分を律する努力と、イチコさんと大希くんに、『気に入らないことがあるからって誰かを叩いていいわけじゃない』というのを学んでもらう努力に費やした。
自分の子供じゃないどこかの誰かよりも、自分の子供を優先したんだ。その『自分の子供じゃないどこかの誰か』は、当然、『自分じゃないどこかの誰か』がこの世に送り出した子供なんだから、山仁さんが責任を負う理由もないわけで。
山仁さんは、あくまで自分の子供について責任を負おうとしてるだけなんだ。どこの誰かも分からない『他所のお子さん』のために時間を割くんじゃなくて、そんなことをしてて『時間がない!』『忙しい!』と言い訳するんじゃなくて、自分の子供に集中していたんだよ。その成果が、今のイチコさんと大希くんという明確な形で表れてる。
僕も、それに倣おうと思う。でも同時に、沙奈子も玲緒奈も、イチコさんでもなければ大希くんでもない。その事実もちゃんと受け止めて、山仁さんがイチコさんや大希くんに対してやったことをそのままコピーすれば上手くいくとは考えないようにする。沙奈子は沙奈子。玲緒奈は玲緒奈なんだ。
だから今日も、傍若無人に暴れ回る玲緒奈を真っ向から受け止めてきた。そんな玲緒奈にキレて、
『気に入らないことがあったら叩いていい』
なんていう姿を見せてしまわないようにね。
その努力を嘲笑う人は、『努力さえすればどんなことでも何とかなる』なんて言わない方がいいと思うよ。




