千九百五十 玲緒奈編 「その現実から導き出される答は」
十月二十九日。金曜日。晴れ。
世間がどれほど、
『子供なんて獣と同じだ』
とか言っても、玲緒奈をすぐ傍で見ている僕の実感とはまったく噛み合わない。そんなのはただ、
『自分にとって都合よく動いてくれない相手は人間じゃない』
と言ってるのと同じだとしか思わないんだ。自分の思い通りにならない相手を人間じゃないもの扱いして現実を見ない甘えた人たちだとしか感じない。どんなに自分の思い通りにならない相手を人間じゃないもの扱いしようとしたって、アニメのキャラクターが現実世界に現れないのと同じで、ただの空想でしかないんだよ。
玲緒奈は人間だ。僕の娘を『人間じゃないもの』と見做すような人なんか、信頼に値しない。人間であるはずの自分の子供を『人間じゃないもの』と見做してそれで何が起ころうとその人の勝手だとしても、親から人間扱いされなかった子供が親を憎むようになったとしても、それはその人の好きにすればいいのかもしれなくても、僕は、玲緒奈を人間じゃないものだと考えるなんてしたいとも思わない。
人間は人間以外のものを生まない。人間以外のものが生まれたんだとしたら、それはその親が『人間以外の何か』だった場合だけだ。そんな漫画やアニメみたいなことが現実に有り得るとか、漫画やアニメと現実の区別もつけられない人の言うことなんて真に受けようとは思わないよ。
僕はただ、『玲緒奈は人間だ』という現実と向き合うだけだ。玲緒奈は人間だけど、まだ生まれて間もないから『知らない』だけだ。人間としての在り方を。そして玲緒奈にそれを教えるのが親である僕の役目で、それを教えるのは結局、『手本』を示す以外にないんだ。
赤ん坊に言葉を覚えてもらうのに、学校の授業みたいなことをする?。そんなことをしなくちゃ言葉を覚えないの?。違うよね?。親をはじめとした自分の周りの人間たちがしゃべっているのを見て聞いてそれで学び取っていくんだよね?。『人間としての在り方』もそうなんじゃないの?。親をはじめとした自分の周りの人間たちの振る舞いを見て、赤ん坊は人間としての在り方を学んでいくんじゃないの?。それ以外にどうやって学んでいくというの?。誰かが教室に赤ん坊を集めて『人間としての在り方を教える授業』でもするって言うの?。違うよね?。
その現実から導き出される答は、どうあっても、
『親をはじめとした周りの人間たちの在り方から学んでいる』
以外に考えられないけどな。それ以外の何が考えられるっていうの?。オカルトじゃない、実際の現実に則したもので他にどうすればそんなことが可能だって言うんだろうね。




