千九百二十 玲緒奈編 「つかまり立ち記念日」
九月二十九日。水曜日。晴れ。
昨日の検診で、医師に、『今日、家に帰ったら突然始めることだって有り得ます』と言われたけど、さすがに本当にそんなことはなかった。なのに今日、
「え?。あ!。立った!。立ちましたよ!」
絵里奈の叫び声に振り向くと、玲緒奈がウォール・リビングの壁に手を着く形で立ち上がってた。でも、すぐにすとんと尻もちをついてしまう。でも、
「ぶおっ!。ぶあっ!。うぶう!」
本人も興奮した様子で、壁に顔を押し付ける感じで体重を掛けつつ壁を這うようにしながら手を上へと滑らせて上半身を持ち上げ、
「ふばっ!!」
気合一閃、足で床を踏みしめた。そして、ウォール・リビングの壁に手を着いた形で立ち上がったんだ。
「すごいすごい!。すごいよ玲緒奈!」
僕が声を上げたら、
「ぶあーっ!!」
って叫んで、『どやあ!』って顔をして、ぺたんと尻もちをついた。
「ぷひーっ!」
なんて言いながらその場に大の字になって、それから右の拳を口に突っ込んで拳しゃぶりを始める。さすがに疲れたのか、休んでるのかもしれない。
しかしまたもや、絵里奈が最初のそれを目撃することになった。なんという強運。ただ、今では、沙奈子の机の上に設置したスマホで動画を撮り続けてるから、もしかしたらその瞬間が映ってるかもしれない。だから見逃したことはそんなに悔しくない。それよりも玲緒奈がやっぱりちゃんと成長してることが嬉しい。
『ママ』とか『パパ』とか言ってくれないのだって、別に焦らなくていいと思う。普段から見てても分かるように、玲緒奈はちゃんと喋ってる。あくまで彼女なりの言葉でだけど。
それで十分だよ。
ただ、『つかまり立ち』って、テーブルとか椅子とかに掴まって立つものだと思ってたけど、まさか、ウォール・リビングの壁を使って立ち上がるとは思っていなかった。これは完全に予想外だったよ。
すると玲緒奈は、立つことに強い関心を持ったのか、何度も壁を使って立ち上がることを始めた。この子は、他の子よりも何かを始めるのはゆっくりかもしれなくても、いざ始めると途端にすごい集中力を見せて猛然と上達していく感じなのかもしれないな。
こうして今日は、玲緒奈の初めての『つかまり立ち記念日』になったな。
本当に元気に育ってくれてありがとう。もうそうとしか言いようがない。僕に迷惑を掛けるだけならいくらでも掛けてくれていいよ。君を勝手にこの世に送り出したのは僕なんだ。その責任は負う。




