千九百六 玲緒奈編 「言い方や言葉を変えただけじゃ」
九月十五日。水曜日。曇り。
『親ガチャ』という言葉を使ってる人の多くは、『大して努力もしないうちから厭世観に囚われて、『自分が報われないのは親の所為』って意味で親ガチャって言ってる』そうだ。
でも、僕は、自分の身近で、沙奈子や、玲那や、結人くんといった事例を間近で見てるからこそ、『親ガチャ』という言葉を否定しただけで問題が解決すると思ってるならそれは思い上がりなんじゃないかな?。としか感じない。言い方や言葉を変えただけじゃ何も解決しないはずなんだ。『窃盗』を『万引き』と言い換えたって、『学校内の犯罪』を『イジメ』と言い換えたって、それで何が解決するの?。
生涯に亘って子供の足を引っ張り続けるような親が、『親ガチャ』という言葉を使わなくなったらいなくなるの?。
不倫相手の子供を自分の夫に育てさせるような女性とか、他所の奥さんを妊娠させるような男性が、『親ガチャ』という言葉を使わなくなることでいなくなるの?。
再婚相手の連れ子を虐待するような人が、『親ガチャ』という言葉を使わなくなることでいなくなるの?。
自分の実子を虐待するような親が、『親ガチャ』という言葉を使わなくなることでいなくなるの?。
そういう親は、『当たり』なの?。
そして、自分では何も努力せずに何でもかんでも自分以外の誰かの所為にする人が、『親ガチャ』という言葉を使わなくなることでいなくなるの?。
なんの問題解決にもならないとしか思わないんだけどな。
『親ガチャって言葉で苦しめられる親が減るだろ!』って言うかもしれないけど、僕は親だけど、『親ガチャ』なんて言葉があっても、それをいい言葉だとは思わないけど、別に傷付いたりしないけどな。絵里奈もそうだ。山仁さんもそう。じゃあ、僕たちのように『親ガチャ』って言葉があっても別に傷付いたりしないっていう風になれない親は、『努力が足りない』の?。そうじゃないよね?。
だとしたら、『努力だけじゃ解決しない問題もある』っていう何よりの証拠なんじゃないの?。特に、子供の努力を生涯に亘って踏みにじってくるような親がいたら、子供は何をどう努力すればいいの?。逃げようとしても、親であることを盾に追いかけてくるようなのに対しては、どんな『努力』をすればいいの?。
そして、結婚した相手の親が困った人だったことで離婚に至った事例には、誰に問題があったの?。
『親ガチャ』という言葉を使ってる人の多くが『大して努力もしないうちから厭世観に囚われて、『自分が報われないのは親の所為』って意味で親ガチャって言ってる』のは事実なのかもしれない。でも、そんな『何となく気分が悪い』って部分だけを見ててそれで何か分かったつもりになってるのは危険なんじゃないかなって気がして仕方ないんだ。




