千八百九十四 玲緒奈編 「地獄のような経験を」
九月三日。金曜日。雨。
でも、『辛かったり悲しかったりする過去を背負ってるキャラが今は幸せに暮らしてる姿を愛でるアニメ』か……。なんか、沙奈子や玲那のことを描いてるみたいなアニメだな。
そう考えたら、玲那の憤りもなんとなく理解できる気がする。沙奈子や玲那が、今、幸せに暮らせているのは、二人の努力やそれを支えてくれた人たちがいたことで成立してるはずなんだ。それを、
『悲しい過去なんて要らない!』
とか言われたら、沙奈子や玲那の存在そのものが否定されてるような気分に僕もなる。そういう過去も含めて沙奈子であり玲那なんだよ。彼女たちがどうして今の彼女たちになれたかを考えたら、『悲しい過去なんて要らない』とか、とても言えないんだ。僕にとって沙奈子や玲那の存在は現実だけど、フィクションの中なら、『そういう過去を一切持たないキャラクター』だって確かに作ることはできるんだろうな。でも同時に、『辛く悲しい過去を乗り越えてきたキャラクター』だっていていいと思うし、そういうキャラクターたちを描くアニメがあってもいいと思うんだ。むしろ、それがあっちゃいけない理由がどこにも思い浮かばない。
『辛く悲しい過去なんて見たくもない』というのは、個人の主観だよね?。個人の『好み』でしかないよね?。それを他人に押し付けるのって、どういうこと?。
結婚すること、子供を育てること、そういうのを押し付けられたくないと言ってる人たちが自分の好みを他人に押し付けようとしてるのなら、ただの矛盾だとしか思わない。
玲那はこうも言ってた。
「私の好きな作家さんも言ってたんだけどさ、『辛かったり悲しかったりする過去を背負ってるキャラが今は幸せに暮らしてる姿を愛でるアニメ』を『優しい世界で美少女がひたすらキャッキャうふふ♡するアニメ』にしろって言うのは、『辛かったり悲しかったりする過去を背負ってるキャラが今は幸せに暮らしてる姿を愛でるアニメのファン』を蔑ろにしてるよね?。自分たちは『ファンのことを考えろ』とか『視聴者のことを考えろ』とか制作側に対して言うクセに、それを吐いた口で、『辛かったり悲しかったりする過去を背負ってるキャラが今は幸せに暮らしてる姿を愛でるアニメ』を楽しんでるファンや視聴者のことを蔑ろにするんだよ?。何様?。そう思ったら、私は、自分の好みに合わないアニメを馬鹿にすることはできないんだよ。私の好みに合わないアニメにだってファンはいて楽しんでたりするはずだからね」
地獄のような経験をしてきた玲那がそんな風に言えるようになったことを、僕は誇りに思う。




