千八百九十 玲緒奈編 「バレなきゃ大丈夫」
八月三十日。月曜日。晴れのち曇り。
僕は、『優秀』や『有能』って何だろう?と、社会人になってからこそ分からなくなった。何をもって『優秀』なのか『有能』なのか?。
ただ最近、思うことがある。
『誰かにとっての都合のいい仕組みに過剰適応できる人が『優秀』で『有能』なのかもしれない』
って。
僕が以前勤めていた会社では、とにかく会社の都合に合わせられる人材が『優秀』で『有能』だった。
そして世の中では、『上司に上手く取り入って気に入られる人が出世する』って言われてたりするよね?。それってつまり、『上司に上手く取り入ってくれる人こそがその会社では求められてる』ってことじゃないの?。だからそれに過剰適応できる『上司に上手く取り入って気に入られる人』こそが『優秀』であり『有能』ってことなんじゃないの?。
いわゆる『ブラック企業』の場合でも、結局は会社にとって都合のいい人材こそが『優秀』であり『有能』なんだよね?。
つまり、その企業そのものがこの社会にとって好ましいものじゃなかったら、その中で『優秀』で『有能』であることが、社会にとって『有益』であるとは限らないってことじゃないの?。
たとえ法律を無視しても利益を上げることを望んでる企業にとっては、法律なんかに囚われず利益を上げてくれる人材が『優秀』であり『有能』ってことになるよね?。
そんな社会が望みなの?。『優秀』であること『有能』であることが何より優先されるべきと考える人って。
まず、何をもって『優秀』であり『有能』なのかを定義してから論じるべきじゃないの?。
補助金を得るために嘘まで吐いてたっていう人がニュースになってたりした。その人は結果として噓がばれたから『優秀』でも『有能』でもなかったかもしれないけど、それがばれずに嘘で補助金を引き出せたら、それが『優秀』で『有能』ってことでいいの?。
僕は、『SANA』でそんなことをしてほしくないんだけどな。そんな形で誰かを欺いて謀ってお金を手に入れるようなことをしてほしいとは思わない。そんなことができる人が『優秀』だとも『有能』だとも思わない。
だから僕は、沙奈子にも玲緒奈にも、そんなことが『優秀』でも『有能』でもないと教えたい。結果、嘘でどこかの誰かが沙奈子や玲緒奈を出し抜いてお金を儲けられても、それを立派だなんて思わない。
僕の考えは甘いのかもしれないけど、自分の子供たちが『バレなきゃ大丈夫』って考えでやるような人になってほしいとは思わないよ。




