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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
1889/2601

千八百八十九 玲緒奈編 「僕自身の人生を」

八月二十九日。日曜日。晴れ。




『私は、私自身の見栄のために手間を掛けるより、人間としてイチコや大希を受け止めることにこそ手間を掛けたいと思ったんです』


山仁やまひとさんの言っていたことが、僕にとっては大きなヒントになってくれた。でも同時に、山仁さんは、


「ただしこれは、私自身がイチコや大希ひろきと向き合ってきて得た実感でしかありません。それぞれ考え方はあるでしょう。私はそれを否定したいわけじゃないんです。けれど、『親である自分が子供たちを勝手にこの世に送り出した』『生まれる前に子供たちの承諾を得た事実も、子供たちにこの世に送り出すことを依頼された事実もない』という現実からは目を背けたくなかった。私の見栄を満たすため、私の自尊心を満たすための道具にはしたくなかった。それを考えるとおのずと分かることも多かったと思います。


親が決して動かしようのない現実と向き合うこともできなくて、子供に『現実を見ろ!』となぜ言えるんでしょうか?。現実を見ていないのは親自身なのに。でも同時に、『自分だけがその境地に辿り着いている!』と考えるのも危険なんでしょうね。なぜなら、人類の歴史の中で『偉人』と呼ばれたり『天才』と呼ばれた方がどれくらいいたのでしょう?。その方たちがたどり着けなかった境地に自分だけがたどり着けたと考えるのは、さすがに思い上がりが過ぎると感じるんです。また、歴史に名を残してはいなくても、きっと優れた方々はたくさんいらっしゃったはずです。


人は、『自分だけが特別なんだ』と思いたがる生き物ではありますが、私にとって妻もイチコも大希も他の誰にも代えられない特別な存在ではありますが、それはあくまで私にとってはそうだということ。『能力』や『才能』といった点に限れば、何も特別じゃありませんよね。妻が亡くなってもこの世界は何も変わることなく存在している事実がそれを証明しています。でも、私にとっては妻はかけがえのない存在でした。他の誰も彼女の代わりにはならない。それもまた事実なんです。


このように、『私にとっては特別で唯一無二の人』でも、『世界にとっては無数にいる人間の一人でしかなく決して特別じゃない』という、一見すると矛盾するようにも思えるこの事実をどう捉えるか。私はいつもそれを考えているんです」


山仁さんの言うことを『世迷言』と切り捨てる人もこの世にはいると思う。だけど、僕自身の人生を振り返ってみると、少なくとも僕には納得できる部分が多いんだ。僕は玲緒奈れおなに実際に承諾を取り付けて、彼女にお願いされて、この世に送り出したわけじゃない。振り返ってみても、そんな事実はどこにもない。どこにもないんだよ。



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[気になる点] >生まれる前に子供たちの承諾を寝た事実 寝た→得た ではないでしょうか? ★コメ不要です
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