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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
1882/2601

千八百八十二 玲緒奈編 「あまり高価なものを」

八月二十二日。日曜日。晴れのち雨。




昨日はまた、沙奈子たちは水族館に行ってた。ハイヤーで。


給付金が支払われていないことで結人ゆうとくんはまだ電動アシスト自転車を買ってもらえてないからね。それに天気も不安定だったし。


だけど、僕たちはこうして子供たちのためにポンとお金を使ったりもするけど、だからってそれが『正しい』とも思わない。僕たちはたまたまそうしたかっただけで、


『子供のためにたくさんお金を使わない人は子供を愛していない』


なんて風には考えない。それどころか、そんな風に言う人は、『子供を愛してる』んじゃなくて、


『子供を愛してるふりをしている自分を愛してるだけ』


って気がしてしまうんだ。


必ずそうだとは断言しないし本人に面と向かって言うつもりもないけど、それぞれの事情も考えないような人が『愛』を口にすることに強い違和感を覚えるのは事実なんだ。


そういう人の考える『愛』って何だろう?。誰かを傷付けること不快にさせることを平然と口にできるような人の言う『愛』って。たぶん、僕が思ってる『愛』とは違うんだろうなって気がする。


もちろん、僕の考える『愛』が正しくてその人たちの考える『愛』が間違ってると言いたいわけじゃない。でも、誰かを傷付けること不快にさせることを平然と口にできるような人が『愛』を口にしてて、それを聞いた子供が『愛』というものをどう解釈するのかを考えると、不安しかないんだ。


僕は、沙奈子のために、型遅れの格安のランドセルしか買ってあげられなかった。四年生から六年生までの三年間だけだったとはいえ、それだった。洋服だって、それこそスーパーの値引き品くらいしか買ってあげていない。そんな僕には沙奈子に対する『愛情』がなかったと言うの?。


そうだね。なかったのかもしれない。だったら、『愛』なんてなかったとしても構わない。誰かを傷付けること不快にさせることを平然と口にできるような人の言う『愛』なんて僕にはなくていい。玲緒奈れおなに対しても『愛はない』と思ってくれて構わない。


お金さえかけてたらそれが『愛』だと思う人たちと同じになんてなれなくていい。


僕はただ、沙奈子の存在を、玲緒奈の存在を、絵里奈の存在を、玲那の存在を、認めたいだけなんだ。『相手の存在を認めること』=『お金をかけること』とは思わない。


でも同時に、十万円もする電動アシスト自転車をポンと買ったりもする。それしかないなら高くても買う。だから、高いランドセルを買い与える人たちに対しても『それはおかしい』というつもりもないんだ。


ただ、沙奈子が通ってた小学校では、『あまり高価なものを持たせないでください』とは言われてたな。イジメも含めて事件に巻き込まれる危険性が高くなるからって。



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― 新着の感想 ―
[一言] 愛はたくさんあるんだと思います 家族への愛、子供への愛、動物への愛、友達への愛 どれもとっても大切なものです 全部違うと思います 誰かが言っていました 愛とは、相手が明るくて暖かいところで…
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