千七百九十四 玲緒奈編 「けりけりけりけりっ!」
五月二十六日。水曜日。曇り。
今日は、会社に行くことになった。打合せなんだけど、クライアントが、
『画面越しだと細かいニュアンスが伝わらない。直接顔を合わせての打合せを要求する』
的なことを言ってきたそうだ。だから、クライアントの都合に合わせることになった。
これもそうだよね。『仕事だから先方の都合に合わせる』ってことなんだろうけど、育児はそれこそ、
『周囲に大きな影響を与える可能性のある人間を育てる』
っていう行為なのに、どうしてそれを軽んじられるんだろう?。もし、自分の子供がイジメとかで他人の人生を滅茶苦茶にしてしまったりしたら、『影響』は計り知れないよね。それを軽んじられる神経が僕には理解できない。だから、沙奈子や玲緒奈のために時間とかを調整するのは、僕にとっては普通のことなんだ。
こうして出向いた打ち合わせだったけど、クライアント側の担当者の人の言うことはどれもこれも抽象的過ぎて要領を得ず、結局、五時間かけて打ち合わせをしても最終的には書面で提示されていた仕様書の通りに図面を起こすことになって、何のために打ち合わせをしたのか分からなかった。それでいてクライアント側の担当者は、『自分はいい仕事をした』とばかりに満足げで、本音を言わせてもらえば暗鬱な気分になっただけだった。要するに、『仕事をした気』になりたかっただけなのかな。
でも、それで文句を言ってても仕事は終わらない。図面はできない。クライアント側の担当者の所為にして『やってられるか!』とか言っても、誰も得しない。
家に帰って、
「お疲れ様」
って絵里奈に労ってもらって、
「玲緒奈~♡ ただいま~♡」
と、玲緒奈を抱っこして、
「ぷぷぽう!」
と応えてもらって癒されて、
「よし、仕事するか!」
と気持ちを切り替えて、仕事を始める。なのに玲緒奈に邪魔されて、
「やめて~」
「うぷぷぷぷ」
の、いつものやり取りを。
ここで、仕事を邪魔されたことに苛立つ人も多いのかもしれないけど、僕は、仕事も『人間を育てること』もどちらも大切だと思うから、玲緒奈のためにも時間を割く。玲緒奈が満足するまで相手をして、落ち着いてから改めて仕事に集中する。と同時に、どうしても仕事を優先しないといけない時には、絵里奈に玲緒奈を預けることもある。いつだって完璧に満足するまで相手をできるわけじゃないというのも事実なんだ。
そういう時、玲緒奈は、布団の上に横になって、絵里奈の手を『けりけりけりけりっ!』とばかりに何度も蹴る。満足するまで相手してもらえなかった不満を、絵里奈にぶつけてるらしい。でも絵里奈自身、玲緒奈を勝手にこの世に送り出した張本人だから、玲緒奈の不満を受け止めてくれるんだ。




