千七百六十六 玲緒奈編 「自分の問題行動も」
四月二十八日。水曜日。雨。
僕は決して『善人』じゃない。『聖人』でもない。どこまでも単純に、
『余計に面倒なことになるのが分かるから面倒なことはしない』
っていうだけなんだ。『正義』なんか、これっぽっちも信じてない。しかも、『正義』を振りかざす人たちが何をしてきたか、目の当たりにもしたからね。
玲那も言ってたよ。
「私が割と好きで作品を追ってる作家さんが、作品の中で言ってたんだよ。『イジメはイジメられる側にも問題がある』のなら、『イジメられる側の問題行動』がイジメの原因だって言うのなら、ネットで他人を罵ったりする行為も『問題行動』なんだから、それを理由に袋叩きに遭っても当然なんだよね?』って。
だけどさ、『イジメはイジメられる側にも問題がある』とか言いながら、『イジメられる側の問題行動がイジメを誘発する』って言うのなら、どうして自分は、『ネットで他人を罵るという問題行動』をやめないの?。って話だよね。その問題行動を批判されたらキレるよね?。正当化しようとするよね?。自分が問題行動をやらかしてるって認めようとしないよね?。それなのにどうして、『イジメはイジメられる側にも問題がある』『イジメられる側の問題行動がイジメを誘発する』とか言うの?。問題行動を起こしてる側はそれが問題だってことを自分では理解できないんじゃないの?。ネットで他人を罵るという問題行動を自覚できないのが多いのと同じでさ。
本人が自分の問題行動を自覚できてないのに、頭ごなしにやいやい言ったって納得できるわけないじゃん。自分が『ネットで他人を罵るという問題行動』のことで他人から頭ごなしにやいやい言われてそれで納得できんの?。してないじゃん。私は、自分のしたことで批判されるのは当然だと思ってたから別にいいけど、同姓同名の人とかがそれで迷惑をこうむったことについて批判されたら、反省するどころか、『あいつが事件を起こしてなければこんなことにはならなかった』とか開き直ってたらしいじゃん。そんな風に『他人の所為』にして自分の問題行動を正当化しようとしてたらしいじゃん。
そんな風に自分の問題行動も改められないようなのが、『イジメはイジメられる側にも問題がある』とか『イジメられる側の問題行動がイジメを誘発する』とか、よく言えたもんだと思う。
って、私がもしネットでこんなこと発言したら、きっとまた『死ぬまで追い詰めよう』ってされるんだろうな……」
そうだよね。『場の空気を読まない』程度のことが『イジメの原因』になるのなら、それが『イジメていい理由』になるのなら、『ネットで他人を罵る』なんて行為が許されるはずがないじゃないか。
今日もしっかり、僕の仕事の邪魔をしてくれてる玲緒奈を見ながら、僕は、そういうこともちゃんとこの子に教えていかなくちゃって思うんだ。




