百七十六 玲那編 「ホットケーキ」
日曜日の朝。今日もいい匂いの中で僕は目が覚めた。今朝はベーコンエッグだった。毎日こんな美味しい朝食を食べてたら、僕は太ってしまうんじゃないかと少し心配になった。
もうすっかり当たり前みたいになった四人での朝食と、掃除や洗濯と、沙奈子の朝の勉強と。そんないつもの時間を過ごしてたら、不意に玄関のチャイムが鳴らされた。その瞬間、沙奈子が「あっ!」って声を出した。
「わすれてた!。やまひとさんといそくらさんが来るんだった」
急に言われて僕たちは「え!?」ってなってしまった。ああでも、今日は日曜日でホットケーキを作る日だ。十分に考えられる事態だったよな。
玄関でドアスコープを覗くと、そこにいたのはやっぱり星谷さんだった。ドアを開けると、「こんにちは」って、星谷さん、大希くん、石生蔵さんが頭を下げた。
「沙奈ちゃ~ん!」
「おじゃまします」と入ってくるなり、石生蔵さんがまた手を振りながら沙奈子に駆け寄っていく。本当にもうすっかり仲良しなんだな。
「今日は皆さんいらっしゃったんですね。ケーキ、足りるでしょうか?」
星谷さんがそう言ったけど、いやいや、こっちこそいつも気を遣ってもらって申し訳ないって思った。
今日もさっそく、星谷さんが持ってきてくれた材料でホットケーキ作りが始まった。だけどさすがにもう慣れてきてるから、沙奈子たちだけにほとんど任せてた。僕たちはただ見守るだけだ。でも絵里奈は、カセットコンロをコタツの上に置いて、同時にホットケーキを作り始めた。子供たちの分は子供たちが、大人たちの分は絵里奈がってことだった。
さすがに手際の良さでは絵里奈の方がずっと上だけど、沙奈子たちも危なっかしい感じはなかった。沙奈子の現場監督感も板についてきたように見える。意外とそういう適性もあるのかもしれない。
それにしても星谷さんは、僕たちのことをどう思ってるんだろう?。血縁でもないただの赤の他人同士で家族になってる僕たちは、星谷さんにはどう見えてるんだろう?。ふとそんなことを思ってしまった。
でも星谷さん自身、こうやって大希くんや石生蔵さんのお姉さんみたいにして沙奈子のところに遊びに来てるくらいだから、僕たちと同じようなものなんだよな。特に石生蔵さんには『お姉ちゃん』って呼ばれて、本当のお姉さん以上に懐かれてるらしいし。
そんなことを思ってたら、星谷さんが絵里奈に声を掛けた。
「私も、やらせていただいていいですか?」
不意にそう言われたから絵里奈も少し驚いた感じだった。
「え、ええ、どうぞ」
そう言いながらフライ返しを渡すと、それを受け取った星谷さんが真剣な顔でホットケーキを少し持ち上げた。
「ホットケーキは久しぶりなんです。お好み焼きは割と普段から作ってるんですけど…」
あ…、そうだったんだ。ちょっと意外な気がした。逆に普段はホットケーキとか作ってて、お好み焼きみたいなのはあまり食べないって勝手にイメージしてたから。
「えい!」と小さく掛け声をかけて、星谷さんがホットケーキをひっくり返した。それが上手くいくと、ぱあっと明るい顔になった。その表情が何だかすごくあどけなく見えた。とても高校生とは思えない落ち着いた雰囲気もあった彼女もやっぱりまだ子供だったんだって思った。
すると、それまではどこか余所余所しい感じでどこか壁もあった絵里奈と星谷さんが、急に打ち解けた感じに顔を合わせてお互いに笑顔になった。しかもそれに感化されるみたいに、玲那の表情まで柔らかくなった。
今度は玲那が不意に声を掛けた。
「ねえ、星谷さんって、大希くんのこと好きなの?」
オブラートに包まない直球の質問だった。その瞬間、まるで何かスイッチでも入れたみたいに星谷さんの顔が赤くなった。
「え…、あの…」と少し口ごもった後、それでも玲那の方を真っ直ぐに見て、「はい、好きです。男性として」とはっきりと答えた。耳まで真っ赤だけど真剣な表情で、それだけに彼女の気持ちが伝わってくるようだった。
『男性として好き』。それはつまり、大希くんのことをきちんと恋愛対象として好きっていう意味だよね。高校生の女の子が小学4年生の男の子を恋愛として好きっていうのは僕にはさすがにピンとこなかったけど、でも同時に、変に誤魔化そうとしないその様子に、僕は素直にすごいと思わされた。自分の想いに責任を持ってる子なんだと感じた。
それは僕には無いものだった。玲那や絵里奈のことは好きでも、恋人とかそういう目で見たことはない。だから星谷さんの気持ちは僕には分からない。ただ僕は、恋愛としては玲那や絵里奈のことを見てなくても、大切な家族だと思ってるというのは、間違いなく真剣な気持ちだった。それは世間から見ると奇妙なものかもしれない。でも僕にとっては正直な気持ちなんだ。
小学4年生の男の子を恋愛対象として好きだと言う星谷さんも、世間から見たら奇妙に映る気はする。だけどやっぱり、その気持ちは彼女にとっては真剣で正当なものなんだってことも感じた。
「すごいなあ。そんな風に言えるなんて。私たち、男性をそういう目で見られないから、ちょっと尊敬しちゃう」
絵里奈がそう言うと、今度は星谷さんが「え?」という顔になった。
「山下さんとお付き合いしてるんじゃないんですか?」
そう聞かれて、絵里奈は少し困ったみたいに笑った。
「うん。お付き合いしてるっていうのとは違うかな。私も玲那も、沙奈子ちゃんのことが好きで、沙奈子ちゃんと家族になりたいって感じだから」
絵里奈のその言葉を聞いた星谷さんが、ちょっと戸惑った顔で僕や玲那を見た。
「絵里奈の言ってることは本当なんだ。僕も実はそういう気持ちはなくて、だから僕たちは、沙奈子の家族になりたいだけの集まりって感じかな」
僕の言葉に玲那が「うんうん」と頷いて、僕たちを見てた星谷さんが何か納得がいったような顔をした。
「じゃあ、やっぱり私たちと同じなんですね」
頬を染めながらもふっと柔らかい笑顔を浮かべた彼女が言う。
「私はヒロ坊くんのことが、男性として好きです。だけど私は、ヒロ坊くんのお姉さんのイチコのことも好きなんです。そして、私の友達も、イチコのことが好きで、家族のようになりたいと思っています。私たちは、イチコの家族になりたいって思ってるんです。それと同じかもしれませんね」
そうか。星谷さんの方も、そういう集まりなのか。
大希くんのお姉さんのイチコさんのことは僕はまだよく知らないけど、確かに柔らかい表情をした、どこか深みのある感じの女の子だという印象は確かにあった。それは山仁さんにも通じる印象だった。飄々としてるのに芯を感じさせて、奥さんを亡くして男手一つで子供達を育ててるのに悲壮感がまるでない山仁さんに。
だからこうして出会ったんだなって、僕には思えたのだった。




