千七百五十五 玲緒奈編 「そんなものに頼らなくても」
四月十七日。土曜日。雨。
結局、
『イジメられる側にも原因がある』
なんてことを平然と口にできる限りは、確かにイジメなんてなくならないのかもしれない。だってそれを口にする人こそが、『加害者側の理屈が正しい』と思ってる人だろうからね。
確かに、イジメられる側の振る舞いが『きっかけ』にはなるかもしれない。その時点では感情がぶつかることもあるかもしれない。だけど、それを正当化していい理屈はないはずなんだ。
何より、『イジメられる側にも原因がある』なんて口にするのは、
『他人の所為にして加害行為を正当化しようとしてる』
だけだからね。
結人くんは、小学校の二年生の時、学校の遠足で出掛けた先で何人もの同級生に蹴られて骨折したことがあるそうだ。それは、『結人くんが先に乱暴を働いたから』という話にされてたそうだけど、でも、結人くんが乱暴を働いたのは、鷲崎さんが用意してくれたお弁当を同級生たちが馬鹿にしたことが原因だったらしい。
彼に粗暴な面があることは確かに事実だけど、それを理由に集団で暴行していいっていう話にはならない。ましてや、彼がキレた原因が、鷲崎さんが彼のために作ってくれたお弁当を同級生が馬鹿にしたことだって言うなら、『そもそもの原因を作ったのはどっちだよ?』っていう話になるよね。それでも、
『弁当を馬鹿にされたくらいでキレていいわけじゃない』
と言うのなら、その後の、同級生が集団で結人くんに暴行を加えたことも正当化されるのはおかしいよね?。
『日本は加害者に甘い』
なんてことを言うクセに、
『イジメられる側にも原因がある』
なんて加害者側の肩を持つ考えがまかり通ってるとか、本当に酷い矛盾だよ。
田上さんの弟くんも、『イジメられる側にも原因がある』と考えてネット上で同級生を攻撃してたそうだ。だけどその同級生が弟くんの気に障る振る舞いをした原因自体が、弟くんの側にあるらしい。
結局、自分の行いを正当化したいから『他人の所為』にしてるだけだよね。
僕は、沙奈子や玲緒奈にそんな風になってほしくないんだ。嫌なことがあったら僕に相談してほしい。必要なのは、
『言いたいことが何でも言いたいように言える社会』
じゃなくて、
『苦しいこと辛いことを素直に打ち明けられる誰か』
だと思う。沙奈子や玲緒奈にとってのその『誰か』に、僕はなりたいと思うんだ。同時に、『赤の他人にストレスを転嫁する』必要がないように、家庭の中でストレスが解消できるようにしたい。『ストレス解消を理由に余所の誰かに迷惑を掛ける』必要がないようにしたい。
僕が、煙草やお酒に頼らずに済んでるのも、結局は、『そんなものに頼らなくても済む家庭を築けてる』からだし。




