千七百二十八 玲緒奈編 「鵜呑みにはしなくても」
三月二十一日。日曜日。雨。
『自分が『できない』ことを認めてほしいのであれば、子供の『できない』も認めないとおかしいですよね』
山仁さんのその言葉は、僕にとっても『当然のこと』だった。
僕も絵里奈も完璧じゃないんだから、沙奈子や玲那や玲緒奈に対して完璧を求めるのはおかしいと思うんだ。
今の玲緒奈には、大人と同じことはできない。言葉も話せないし、相手の『気持ち』を察してそれに適した対応をとるということもまだできない。
当たり前だよね。まだ赤ん坊なんだから。
そんな玲緒奈に『できないこと』『できるはずのないこと』を求めるというのは、おかしいと思うんだ。自分が、『できないこと』『できるはずのないこと』を求められても困るって言うんなら。
僕は、玲緒奈のためなら多少の睡眠時間を削ることも厭わないし、まだ言葉でやり取りもできない玲緒奈の『望み』や『気持ち』を酌むことも厭わない。
だけど世の中には、
『子供のために睡眠時間を削るとかできない!』
『言葉もしゃべれないような赤ん坊の望みや気持ちを察することなんてできない!』
っていう人もいるよね。僕にできることができないっていう人が。
そうやって『自分にはできないこと』を認めてもらいたいのなら、許してもらいたいのなら、相手の『できないこと』を認めなくちゃおかしいと思う。
だから僕は、玲緒奈がまだ、僕の『困ってる』を理解できないのを認めたいと思うんだ。許したいと思うんだ。
今は分からなくても、いずれは分かるようになる。
「イチコも大希も、当然、赤ん坊の頃には何もできませんでした。しゃべることはもちろん、私の気持ちを察することさえできません。だから、一方的に泣いて自分の窮状を訴えかけようとする。でも私は、その、イチコや大希の『できない』を認めてきました。できるようになるのを待ちました。言葉がしゃべれなかったのがしゃべれるようになるのと同じで、成長と共にある程度は相手の気持ちを察することもできるようになるんです。相手が困ってたり不機嫌だったり悲しんでたりというのも、完全ではなくてもいくらかは察するようになる。だとすれば、それを待てばいいんじゃないでしょうか。そして、ある程度察するようになってくれてから、丁寧に、教え諭していけばいいんじゃないでしょうか。
イチコと大希には、そうしてきたんです。
もしかすると、『普通』よりそれが理解できるようになるのが遅い子もいるかもしれない。相手の気持ちを察するのが苦手な子もいるかもしれない。でも、大人でもそういう人はいますよね。だったら、焦る必要はないと思うんです」
山仁さんもそう言ってた。その言葉を鵜呑みにはしなくても、一つ一つ、僕は、自分の目で耳で皮膚で心で確かめていくんだ。
『面倒臭い』とは言わずにね。




