千七百十七 玲緒奈編 「一緒に罪を背負ってくれる人が」
三月十日。水曜日。晴れ。
今日は少し風が強かった。春一番、かな?。それはまだ早いのか。
僕が、仕事の邪魔をしてくる玲緒奈のことを叱らないのを、『甘やかしてる』と言う人もいるかもしれない。だけど僕は実際にこうして自分の子供と向き合ってみて、ますますその考え方には賛同できなくなったんだ。
だって今の玲緒奈を叱っても、この子にはその意味が理解できない。なぜ叱られたのかが理解できない状態で叱っても、意味がない。
『叱る』というのは相手に反省を促す行為なんじゃないのかな。なのに、なぜ叱られたのかが理解できない状況の相手を叱っても、それは、反省を促すことには繋がらないと思う。
それなのにどうして叱るの?。自分のストレスを発散する以外の意味があるの?。
『何度も叱ることで叱られる理由が理解できるようになるんだ』
って言う人もいるかもしれないけど、玲緒奈を見ててもそんな実感は全く湧いてこない。それよりも、玲緒奈自身が言葉を理解して、自分でも話せるようになって、辛いとか悲しいとか困ってるとか、自分のそういう気持ちを言葉で表現できるようになってから、
『お父さんは困ってるんだ。だから、やめてね』
って言えば、それで理解できると思うんだ。だって自分自身の辛いとか悲しいとか困ってるっていう気持ちが表現できるまでになっているのなら、『困ってる』というのがどういうことかも理解できるだろうからね。
もちろんそれでも、一回言われただけじゃ、まだ、ピンとこないかもしれない。だけどそれについても、根気強く何度か伝えていけば、いずれは理解できるようになるんじゃないかな。
その時、僕が、玲緒奈から恨まれるような人でいなければ。
もし僕が、玲緒奈から恨まれるような人だったら、逆に『困らせてやりたい』みたいに思われる可能性があるかもしれない。むしろその実感は、僕自身、皮膚感覚としてある。僕の両親に対しては、心の奥底では、『困らせてやりたい』という願望がある。
そういう意味では、波多野さんのお兄さんの気持ちも想像できなくもなかったりする。両親を、困らせて、苦しめて、痛めつけてやりたいんだろうなって。でも、だからこそ、そんなことに巻き込まれた被害者の女性の無念は、大変なものだよね。許されないよ。僕だって許すつもりはない。反省してほしいと思う。
でもなあ、波多野さんのお兄さんには、玲那みたいに、一緒に罪を背負ってくれる人がいないからな。波多野さんは、『お兄さんの被害者の一人』だし。背負わなきゃいけない理由はないと思う。被害者として苦しめられた上に一緒に罪を背負うなんて、どんな罰だよ。




