千七百九 玲緒奈編 「むしろレアケースなんじゃ」
三月二日。火曜日。雨。
今日は久々に強い雨だった。
政府が『全国の小中高校一斉休校』を打ち出したことで、沙奈子の学校でも、金曜日から臨時休校になる。さすがに急だったことで、教育委員会の方も対応に追われて、スケジュール調整が大変だったみたいだね。
「まあ、そう決まった以上はおたおたしても始まらないし、この前、話し合ったとおり、千早ちゃんや大希くんとは連絡を取り合って、夏休みとかと同じように対応しよう」
「そうですね」
「まあ、それしかないよなあ」
「うん……」
正直、僕も不安だったけど、ここでうろたえたって状況がよくなるわけじゃない。それに、地震とかの災害とは違って、今すぐ命の危険が差し迫ってるわけでもない。
幸い、うちは、だいたい家に誰かいるから、沙奈子を一人だけにすることもないし。
そして、結人くんにも、ぜひ、うちに来てほしいと思ってる。
彼が、嫌がらなければの話だけどね。そう、彼の意志を尊重することが大事なんだと感じてる。
結人くんは、他人を自分の思うままに操ろうと考える、他人が自分の思うままに動いてくれるのが当然だと考える、しかも、相手を威圧して怒鳴って暴力でっていうタイプの大人の下を転々としてきたんだ。
これは、沙奈子も同じ。
そんな子供を、『怒鳴ったり叩いたりして躾けよう』なんていうのは、本当に危険なことだというのが僕の実感だ。子供自身に、『暴力で他人を屈服させるのが当たり前』っていう認識を植えつける行為としか思えないんだ。
そうやって、 『暴力で他人を屈服させるのが当たり前』という認識を子供に植え付けた上で、またその暴力を否定するという、あまりにも欺瞞に満ちたやり方というのは、本当に危険だと感じるんだ。
実際に、暴力に頼ったやり方で子供に言うことを聞かせようとしてきた環境で育った人が大人になって何をしているのか、実例は数限りなく見られるんじゃないのかな。
暴力で他人を従えようとする人の中で『殴られる痛み』を本当に知らない人が、どのくらいいるっていうんだろう。一割?。二割?。そんなにもいるかな。
少なくとも、以前の千早ちゃんや、結人くんは、『殴られる痛みを知らない』どころか、『殴られる痛み』がどれほど人の心を折り、尊厳を踏みにじることになるのか、自分自身の体で、嫌というほど思い知ってきてる。
だからこそ、他人に対してそれを用いることが、手っ取り早く自分の目的を果たすことになるのか、他人を自分の思い通りに操る方法になるのか、皮膚感覚で知っているんだ。
『殴られる痛み』を知っているからこそ、暴力に頼る。
幼い娘を暴力で服従させて『商品』として利用してきた玲那の実の両親も、殴られ蹴られ恫喝されて育ってきたそうだ。
『殴られる痛みを知らないから他人を殴れる』なんて、むしろレアケースなんじゃないかな。




