千六百九十八 玲緒奈編 「パニックになる必要は」
二月十九日。金曜日。曇り。
マスクやティッシュやトイレットペーパーが店頭から消え、ますます大変なことになってきてるっていう実感はあった。
僕たちも、家の外に出る時にはずっとマスクをするように。
正直、最初はどうしても息苦しさを感じてしまって辛かったけど、
「こうやって、マスクを膨らませる感じにして、鼻の前に空間を作ると、あんまり息苦しくないよ」
玲那に言われて真似したら確かに楽になって、それ以降は、わりと平気になったかな。プリーツ状で、鼻のところにワイヤーが入ってる不織布マスクだとそれがやりやすくて、助かった。
とは言え、やっぱりずっとマスクをするというのはこれまでなかったことだから、少なからず違和感はあったな。
でも、玲那の場合は、
「こうやって顔を隠せるから、メイクの方は手を抜けるし、正直、私はこっちの方が楽かな」
だって。
確かに彼女のメイクは、『伊藤玲那』だってことを気付かれないようにするためのもので、かなり慣れて早くできるようになったとは言え、元々、メイクが好きじゃなかった彼女には、少なくない負担だった。『伊藤玲那』だと気付かれないことで自分の大切な人を守りたいという想いがあればこそなんとかやってこれたけど、本当は苦痛なんだって。
彼女にとっては、メイクをすることは決して小さくないストレスなんだよ。
できればやりたくないっていうのが本音だった。それを叶えてあげられないことが僕にとっても心苦しかったけど、皮肉にも、『新型コロナウイルス感染症』は、彼女の負担を減らしてくれたというのも事実なんだな。
本当に世の中っていうのは、皮肉だらけだ。人間よりもウイルスの方が玲那に優しいなんてね。
だけど、それを嘆いても世の中は変わらない。だったらやれることをやるしかない。『新型コロナウイルス感染症』のことも、精々、利用させてもらおう。
そんなことを思いつつ、今日は僕が買い物に出る。
行き交う人の半分以上がマスクをしてる。冷静に考えたら奇妙な光景だ。今までは、どんなにインフルエンザとかが流行ってもここまでじゃなかった。その中で、僕もしっかりマスクをしてる。
これから世の中がどうなっていくのか、予想も付かない。それでも、僕たちのすることは変わらない。自分にできることを淡々とこなしていく。それだけだ。
スーパーに着くと、やっぱり、マスクが置いたあった棚と、ティッシュやトイレットペーパーが置いてあった場所が、ごっそりとなくなってる。
星谷さんが言うには、流通が大きく乱れてきてるのは事実なんだって。だけど、パニックになる必要はまったくないって。
だけどそれでも、不安にはなってしまうんだろうな。




