千六百五十九 玲緒奈編 「人間の世界というものを」
一月十一日。月曜日。晴れ。
今日は成人の日。星谷さん、イチコさん、波多野さん、田上さんがまさに新成人としてこの日を迎えた。
だけど……。
「私は、出席できるだけの時間的余裕がありませんので、辞退します」
今年に入って早々に星谷さんが成人式に出席しないことを告げると。
「じゃあ、私もやめとこ」
とイチコさんが言い出して、
「イチコもピカも行かないんなら私もいいや。呑気に成人式に出席なんかしててあいつの妹だって気付かれたらそれこそなに言われるか分かったもんじゃないし」
「そうだね。私は母親が『出ろ』『出ろ』煩いから余計に行く気なくなったからだけど」
波多野さんと田上さんも。さらに田上さんは、
「体裁が悪いから成人式に出ろという割りには、『働いてるんだから振袖の代金は自分で出してね』だもん。自分の体裁のために娘を成人式に出させようってんなら、せめて振袖のレンタル代くらい出してよって思ったら、『レンタルはダメだからね。レンタルなんて冗談じゃない!。ちゃんと買いなさい!。それくらい貯金できてるんでしょ!?。学費と生活費は出してあげてるんだから』だって。ないわ~、マジでないわ~……」
心底嫌そうに肩を竦めてた。
確かに、とことんまで干渉しておきながらそれというのは、すごく気分が悪いよね。特に田上さんの場合は、親から出してもらっているお金は使わずに、自分で稼いだお金で学費も生活費もって形だから、別に自分で稼いだ分を遊びとかに使ってるわけじゃないし。
親だからって子供を自分の体裁のために都合よく操ろうと考えられるのが、分からない。自分の子供だからって、自分が作った子供だからって、自分のいいように操ろうと考えるというのは、『子供を人間として扱ってない』ってことじゃないの?。それは、とりもなおさず、
『人間を人間として扱わない』
というのを、他の誰でもない、親自身が、子供に対して実践してるってことだよね?。
それでどうして、子供が、人間を人間として扱うことを学び取ってくれると思えるんだろう。僕にはそれが分からない。玲緒奈がすごく僕たちのことを見てる実感がある中で、この子を、『物』や『ペット』や『ロボット』のように扱ったら、この子も、他人を人間として扱わない見做さないということを学び取ってしまう気しかしないんだ。
今まさにたくさんのことを、言葉だけじゃなく、人間の世界というものを、人間というものを、この子はものすごい勢いで学び取ってるはずなんだ。その真っ最中に、親である僕たちがこの子を人間として扱わなかったら、接しなかったら、どうやって『人間を人間として扱う。接する』ことを学び取れるっていうんだろう。




