百六十五 沙奈子編 「普通」
さて、そろそろ寝る時間な訳だけど、どうやって寝る?
と思ってると、沙奈子が布団を指さして、
「えりなおねえちゃんはここ、私はここ、お父さんはここ、れいなおねえちゃんはここ」
って、自分は絵里奈と僕の間で、玲那は僕の隣っていう風に指定してきた。それは正直、僕にとっても意外だった。絵里奈の隣には寝るだろうなとは思ってたけど、また玲那を僕の隣にっていうのが意外だった。てっきり玲那と絵里奈は隣にするか、いっそ二人に挟まれて寝るかと思ってたから。
しかも人形たちについては、
「今日はりなちゃんとかなちゃんは、しおりおねえちゃんがいるからここ」
と言って、机の上を指さした。志緒里がいるから自分と離れても寂しくないっていう考えらしい。志緒里の布団は絵里奈が持ってきてたから、机の上に果奈を真ん中にして寝かせた。確かに人形まで下に寝かせるとかなりごちゃごちゃになるもんな。そうしてもらえて僕も正直ほっとした。
でもそうなると、僕と玲那が一緒の布団で寝ることになるんだけど、絵里奈的にはどうなのかなあ。なんて心配をしてたら、絵里奈もニコニコして、
「沙奈子ちゃんと一緒に寝られて嬉しい」
って上機嫌だった。う~ん、これはどう考えたらいいんだろう?。自分がいないところで僕と玲那が一緒に寝るのは妬けるけど、見えてたら大丈夫ってことなのか、それとも単純に沙奈子と一緒に寝られるのが嬉しくて機嫌がいいだけなのか…?。
…いや、やめとこう。いくら考えたって僕は絵里奈じゃないんだから、絵里奈の本当の気持ちとか分かるはずがない。とりあえず本人の機嫌がいいんなら、それでいいということにしておこう、うん。ということで、僕は考えるのを止めた。
その時、沙奈子が、「おやすみなさいの、ちゅー!」って言いながら、僕たちに順番にキスして回った。すると絵里奈が、両手で赤くなった頬を押さえながら体をくねくねさせた。
「きゃ~っ!、沙奈子ちゃんにちゅーしてもらっちゃった~!」
すごく嬉しそうで、まさに身悶えてるって感じだった。改めて沙奈子のことが本当に好きなんだなって感じた。
そして僕たち三人でそれぞれ沙奈子にお返しのキスをして、布団に入った。さすがに今日は沙奈子も何だか興奮してるように見えた。さっきまですごく眠そうにも見えたのに、いざ寝るとなったら逆に元気が出てきた感じにも見えた。絵里奈と一緒に寝るのが相当嬉しいんだと思った。
「あ、おっぱいがある…」
不意に沙奈子がそんなことを口にした。絵里奈の胸に顔をうずめた時、彼女のそれの感触を実感したみたいだった。当然、僕の胸に顔をうずめた時にはない感触だから、つい口に出たのかもしれない。
「沙奈子ちゃん、私のおっぱいを枕にしていいよ」
絵里奈もそんなことを言いだした。そしたら僕の隣で玲那まで、
「沙奈子ちゃん、絵里奈お姉ちゃんのおっぱい、ふわふわで気持ちいいでしょ~」
なんてことを。すると沙奈子も、
「うん、ふわふわ~」
だって。ああ、そうですか。もう好きにしてください。
ただ一人の男である僕には、ついていけない世界だよ。何という甘々でふわふわな空間なんだ。まさに僕の知らない世界だ。
だけど、うん、悪くないよな。僕をお父さんだって思ってくれてた沙奈子だけど、きっと心のどこかではお母さんのことも求めてたんだと思う。それが今日、やっと手の届くところに来たって感じじゃないのかな。そう思えば、この感じも当然なのかもしれない。これも、沙奈子が欲しかった感じなんだろうなっていう気もした。
沙奈子が言う。
「えりなおねえちゃんのこと、お母さんってよんでいい…?」
突然のことだったけど、絵里奈は驚くどころかもっと嬉しそうな顔をした。
「もちろんいいよ。沙奈子ちゃん。私で良かったら、沙奈子ちゃんのお母さんにならせて」
そう言った絵里奈の目は、潤んでるように見えた。
そして沙奈子が言った。
「お母さん…、お母さん…、お母さん……」
何度も何度もそう言った。その声に、僕も胸が締め付けられる感じがした。やっぱり沙奈子は、ずっとそう言いたかったんだと思った。ずっと『お母さん』って声にしたかったんだと思った。涙が勝手に溢れてきて、止まらなかった。絵里奈も泣いてた。玲那も泣いてる気配がしてた。
「お母さん、大好き…」
それは、もしかしたら…、いや、たぶん、沙奈子にとって生まれて初めての言葉だったんだと思う。今までずっと、言いたくて、言いたくて、でも口に出来なかった言葉なんだと思う。それがあんまり分かり過ぎて、胸が痛くなった。たったそれだけの言葉を言うのに、この子はどれだけ遠回りしてきたんだろうって思った。こんないい子にそれを言葉にさせないなんて、どんなに酷い仕打ちだったんだろう…。
すると沙奈子が今度は、
「お父さん…」
って言ってきた。だから僕は、
「何だい、沙奈子…?」
って応えた。そしたら、
「お父さん、大好き…」
と言ってきた。さらに今度は、
「おねえちゃん…」
と言って、それに玲那が、
「なあに、沙奈子ちゃん…」
って、完全に泣きながらも、やっとの感じで応えると、
「おねえちゃんも大好き…」
だって。きっと玲那はグチャグチャの顔して泣いてるだろうなって気がした。
「お父さん…、お母さん…、おねえちゃん…」
沙奈子にそう言われても、もう声にならなかった。胸がつかえて言葉が出なかった。
「私…、みんなのこと大好き……」
僕も、絵里奈も、玲奈も、誰も返事も出来なくなっていた。うんうんって頷くのが精一杯だった。
その日は、みんなでくっついて寝た。気が付いたらそんな感じで寝てた。泣きながら寝てしまったんだなって自分でも分かった。だけど幸せだった。やっと、何だか当たり前の姿を取り戻せたんだっていう気もした。
それを取り戻すまでの間、沙奈子だけじゃなく、僕たちはみんなすごく遠回りをしてしまったんだなって感じた。こんな小さなアパートの一室でようやく僕たちは本来の形になれたんだなって思えた。
そうだ。僕たちは、これからはちゃんと家族として生きていこう。生まれも育ちもバラバラだったけど、こうして集まることが出来たんだ。一緒になることが出来たんだ。それをみんなで守っていこう。そうすればきっと、みんなの力できっと、この幸せだって守っていける。守っていこうって思える。
沙奈子…、ありがとう…。
今なら分かるよ、やっぱり沙奈子が僕たちを呼び寄せてくれたんだって。そんなドラマみたいなことが起こるとかこれっぽっちも思ってなかった僕の前で、沙奈子がそれを見せてくれたんだって思う。
家族が揃ってて幸せでなんて、ひょっとしたら普通すぎることなのかもしれない。幸せとか感じるのも変なくらいになんてことないものなのかもしれない。でも僕は今、間違いなく幸せだって感じてたのだった。
 




