千六百二十六 玲緒奈編 「僕は立派な人間じゃないけど」
十二月九日。水曜日。晴れ。
「ぷー、ぷ、ぱ、っぱ」
玲緒奈は相変わらず、謎の言語を口にしながら、楽しげに手足をばたつかせてた。
すると絵里奈が、
「これって、もしかすると『パパ』って言ってるんじゃないですか?」
って。
確かに、『パ』と発音してることが多い。でも、僕の実感としては、
「う~ん。必ず僕を見て言ってるわけじゃないから、どうなんだろう?」
と思う。
今だって、ツリーのイルミネーションの方を見ながらだし。
もちろん、『パパ』って言ってもらえたらすごく嬉しい。パ行の発声が多いから『パパ』って言う方が楽かもしれない。
「だけど僕としては、『ママ』って先に言ってもらえたらもっと嬉しいかな」
「そうなんですか?」
「うん。なんかそう思うんだ。ほら、だって、僕はいつもこうやって玲緒奈のご機嫌な様子を見られてるしさ。だったらせめて『ママ』って先に言ってもらいたいっていうのが正直な気持ちなんだ」
「パパったら……」
絵里奈が苦笑いを浮かべる。
そんな風に自分の思い通りにいかないかもしれないのは分かってる。玲緒奈がもし先に『ママ』って言ってくれなくたってそれを責めるつもりもない。単に、僕の勝手な『願望』というだけだ。
自分の思い通りにいかないからってキレるのは、子供と同じだと思う。
そして、子供のうちにしっかりとそれを受け止めてもらえなかったから、大人になってからもそういう自分を抑えられない人が多いのかもって今は思うんだ。
だったら、玲緒奈のことは受け止めなくちゃって。僕がそれを怠ったことで玲緒奈が他の人にキレて不快な思いをさせるだけじゃなく、そのことで玲緒奈自身が疎まれたりしたら、僕は自分が許せないかもしれない。
僕が今、自分を抑えることができるのは、みんなのおかげだよ。だけどそういう『出逢い』に頼るのは、親としては怠慢だと感じるのも事実。出逢いに期待するんじゃなくて、自分がやらなくちゃ。大人なんだから。親なんだから。
僕は、玲緒奈を愛してる。もちろん沙奈子のことも、絵里奈のことも、玲那のことも愛してる。だから受け止めたい。
そうやって受け止めるから、相手からも受け止めてもらえる。
自分だけが一方的に受け止めてもらえるのも、子供のうちだけ。なにしろ、今の玲緒奈に受け止めてもらうことを期待するなんて、いくら何でも正気の沙汰とは思えないし。『赤ん坊に気遣ってもらわなきゃいけない大人』なんて、さすがに情けないにもほどがある。
僕は立派な人間じゃないけど、そこまでは落ちぶれたくないな。




