千六百二十 玲緒奈編 「事件を起こす理由がない」
十二月三日。木曜日。晴れ。
『自分にだけ都合よく解釈してもらえるわけない』
玲那も言ってたけど、本当にその通りだと思う。
世の中には極論を口にする人も多い。『嫌いな奴は殺せばいい!。そうするのが正しいんだ!』とかもそうだし、『言いたいことは正直に口にするべき』というのも、自分が伝えたい意図は正直に言ったとしても、『言い方』は気を付けないといけないと思うんだ。
そのことについても玲那は言ってた。
「私はついつい感情的に強い言葉を使っちゃったりするけどさ、パパちゃんはいっつもすごく丁寧に言葉を選んでくれてると思う。だからさ、分かるんだよ。『パパちゃんの言ってることが誰かや世の中の何かに対する『批判』ってことになるんなら、『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使わなくてもちゃんと批判できるじゃん』って。
逆にさ、『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使わなきゃ批判したことにならないってんなら、パパちゃんの言い方は『批判』じゃないじゃん。だけど実際には、パパちゃんの言ってることをネットで公開したら、炎上して袋叩きになったりすることもあるんだろうなって思う。
おかしいじゃん。『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使わなきゃ批判したことにならないんならパパちゃんの言ってることなんて批判にさえならないはずなのに、どうしてそんなにムキになんの?。『批判された』って感じるからじゃないん?。『耳の痛いことを言われた』って思うからじゃないん?。
だとしたらさ、『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使わなきゃ批判したことにならないってわけじゃないってことじゃん?。必須じゃないってことじゃん?。なのになんで『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使うんだよ。そんなの使わなくても『批判』はできるはずなのにさ。
ここまで言ったら分かるよね?。『罵倒』とか『蔑称』みたいなのを使うのは、『批判』のためじゃない。単に自分がそれを使いたいからだってさ。じゃあなんでそれを使うんだろね?。批判するだけなら必要ないのに。
結局、相手をいたぶりたいだけなんだよ。痛めつけたいだけなんだよ。自分の憂さ晴らしが目的なんだ。『批判』なんてのはそのための言い訳じゃん。叩きやすい相手を叩きたいだけ。イジメと同じだとしか私は思わない」
玲那はそうきっぱりと言い切った。
彼女が、もう、あんな事件を起こさないだろうなっていう根拠がそこにある。自分の感情で自分の行為を正当化しないからだ。
玲那には、誰かを激しく攻撃してもおかしくない『理由』がある、過去の被害もそうだし、事件を起こした後のことも。
だけど彼女は、それを理由に他人を攻撃するのをやめたんだ。
だから事件を起こす理由がない。
『事件を起こす理由がない』というのは、すごく大事なことだと思う。




