千六百十九 玲緒奈編 「イジメそのものを肯定する形に」
十二月二日。水曜日。晴れ。
玲那が言う。
「ネタじゃなくて、本気で『この世はクソだ!』とか言ってる人は、本人が攻撃的なんだと思う。実は私自身がそうだったから。
いつも周りに怯えててまったく抵抗できなかった頃は、『この世はクソだ!』なんて思う余裕すらなかった気がするんだよ。ただただ攻撃されないように殴られたりしないように身を潜めてるだけだった。
でも、中学に上がった頃には『この世はクソだ!』みたいに考え始めてて……。でも今から思えば、あの頃の私は他人に対してもものすごく攻撃的だった気がして仕方ない。実際に攻撃を仕掛けることはなくても、心の中では『殺してやる!』とか思ってたんだ。
で、『嫌いな奴は殺せばいい!。そうするのが正しいんだ!』みたいにも思っててさ。でも、パパちゃんなら分かるよね?。『嫌いな奴は殺せばいい。なんて考えてたら、自分を嫌ってる人間に殺されたって文句は言えない』ってさ」
そんな彼女に、
「確かにね。イジメられてた人なんかは特に、『自分をイジメてた奴は許せない。殺してやりたい。憎い相手は殺していいのが正しい社会だ』って思ってしまいがちなんだろうけど、それを言うなら、『自分が憎まれた時、嫌われた時、他人を不快にさせた時には、何をされても仕方ない』ってことになるよね。つまりは、『たとえどういう形でも他人を不快にさせたのがきっかけでイジメられたのなら、それは自分が悪い』ってことで、イジメそのものを肯定する形になってしまうと僕も思う。それじゃ駄目だよね」
僕も応えさせてもらった。すると、玲那は、
「そうなんだよ!。まさにそれなんだ。『嫌いな奴は殺せばいい!。そうするのが正しいんだ!』みたいに思ってたら、『他人から嫌われるようなことをしたら、即、殺される』ってのを認めなきゃおかしいんだよ。『空気読めなくて周りのノリに合わせられなくて嫌われるタイプ』なんて真っ先に殺されるよ。そんな世の中が正しいって?。冗談じゃない。
ホント、イジメられっ子が力を得て、『嫌いな奴は殺せばいい!。そうするのが正しいんだ!』的に復讐していく話とか多いけど、あれはフィクションだから成立するだけだからね?。そういうフィクションを見てスカッとするのは別にいいと私も思うにしても、それが現実にも当てはまるとか考えたらダメだからね?。『嫌いな奴は殺せばいい!。そうするのが正しいんだ!』なんてのがホントに現実に当てはめられたら、『空気読めなくてノリが合わせられなくて嫌われてるからイジメられてるタイプ』とか、それこそ殺されちゃうじゃん。自分にだけ都合よく解釈してもらえるわけないじゃん。
それをわきまえなきゃダメでしょ」
熱く語った。
そうだ。玲那は、実の父親を包丁で刺して、『人殺し』として世間から嫌われた。『嫌いな奴は殺せばいい!』が通用するなら、玲那はそれこそ『殺されていい奴』になってしまうよ。
それが正しいことだとは、僕は思わない。




