千六百三 玲緒奈編 「指導を行う際の根拠として」
十一月十六日。月曜日。晴れ。
最近、『あだ名』を禁止してる学校が増えてきてるらしい。沙奈子が通ってる学校でも基本的にあだ名は禁止されてる。
だけど、多くの人の反応は、案の定、
『校則であだ名まで禁止するとか、なんて息苦しい時代なんだ!!』
ってものらしい。
だけど僕の印象はそういうのとは違ってる。
『こういうのも、結局、それを実際に運用する学校側のやり方次第だよね?』
というのが正直な思いなんだ。
それに、『学校の校則』については、
『社会にはもっと理不尽なことが溢れてるんだから、学校で多少の理不尽を強いるのは、子供のストレス耐性を鍛えるのには必要なことだ』
とか言ってる人もいるらしいよね?。ということは、『ストレス耐性を鍛えるために校則がある』みたいに思ってる人たちは、『あだ名禁止』くらいはどうってことないんじゃないの?。それとも、『ストレス耐性を鍛えるために校則がある』みたいに言ってた人たちが、『校則であだ名まで禁止するとか、なんて息苦しい時代なんだ!!』みたいなことを言ってたりするの?。だとすれば、随分な矛盾じゃないかな。
僕自身は、あだ名を禁止されたってなんとも思わないよ。他人をあだ名で呼ぶということ自体、あまりしてこなかったし。
そしてなにより、沙奈子が学校で『埴輪』ってあだ名を広められそうになった時に、先生が、
『あだ名は禁止されてる』
ってことを根拠にして指導してくれたしね。
だけど、同時に、親しい子同士が学校外であだ名というか『愛称』で呼び合うことまでは禁止してないし、学校内でついあだ名で呼んでも、言われた方の子の反応を見て問題なさそうならあんまり厳しくは言わないらしい。
千早ちゃんが、沙奈子のことを『沙奈』、大希くんのことを『ヒロ』、って呼んでることも、特に何も言われたことないって。
結局、そういうことだと思うんだ。『学校のルール』というのは、指導を行う際の『根拠』として必要なんであって、『法律』ほどは強制力もないし、実際の運用についてはそれぞれの事例をちゃんと見た上で行えばいいってことなんだろうね。所詮は『ローカルルール』に過ぎないし。
それに、沙奈子は今でも、『ロボちゃん』『埴輪』みたいには陰で言われてる。おおっぴらには言わないだけで。あくまで『エスカレートさせない』程度の効果しかないのは確かだろうな。
他人にあだ名を付ける人は、えてして、
『親愛の表れだから』
とか言うけど、本人が望んでなかったらそれは『親愛の情』なんかじゃないよ。相手が望んでるか望んでないか、気に入ってくれてるかそうじゃないか、区別も付けられない人の言う『親愛の表れ』なんて、イジメでよく言われる『悪ふざけ』や『イジリ』と同じだよ。
千早ちゃんの『沙奈』や『ヒロ』は確かに親愛の情だろうけど、沙奈子をからかうための『ロボちゃん』や『埴輪』は、絶対に親愛の情なんかじゃない。たとえ本人が『親しみを込めてるだけだ!』と抗弁したって、少しも信用できないよ。




