百五十八 沙奈子編 「抱擁」
そうか、僕と玲那だと何か違うのか。違うのは当たり前だろうけど、僕の方がいいって思ってくれたのは、正直嬉しかった。僕自身、何となく玲那と絵里奈に沙奈子を取られるような感じがしないわけじゃなかったから。変な話だと自分でも思う。でもそういう気持ちになってしまうのは本当だった。
やっぱり、僕自身も沙奈子のことを必要としてるんだなって改めて気付かされた気がした。沙奈子がいないと今の自分を維持できない。沙奈子がいなくなったりしたらその途端、昔に逆戻りだって今でも思う。結局、僕たちは、お互いにお互いを必要としてるんだなっていうのを今日も感じた。
沙奈子は僕の膝で果奈の服を作ってた。見ると丈の短いドレスじゃなくて、スカートが結構長いロングドレスって感じのだと思った。裾にフリルもついてて、ちゃんとドレスっぽくなってる気がする。ますますレベルが上がってきてるんじゃないかな。
「沙奈子ちゃん、ホントに上手だよね~。これでお仕事できそう」
玲那はしみじみとそう言った。でも沙奈子は集中してるからか、反応が無かった。そしてボタン付けが終わって、「できた」って呟いた。それをさっそく果奈に着せてみる。すると、決して派手じゃないけど、だけど可愛らしいドレスだった。
「お~!」
って玲那が声を漏らす。僕も素直に感心してた。本当に才能があるんじゃないのかなって思った。沙奈子自身も満足そうにドレスを着た果奈を右に向けたり左に向けたりしながら眺めてた。時間もちょうど10時前だ。そろそろ寝なくちゃね。
今日も、昨日と同じ並びで寝ることになった。それを仕切ったのはやっぱり沙奈子だった。僕を独占したいっていう気持ちもありつつも、玲那のことを気遣ってくれる沙奈子の優しさに、僕はまた込み上げるものを感じた。玲那も言ってたけど、優しすぎるよ、沙奈子。だから余計に僕も沙奈子を大切にしたくなるんだ。その時、布団に座った玲那が言った。
「沙奈子ちゃんが優しいのは、お父さんが優しくしてくれるからなんだね」
すると沙奈子が大きく頷いた。
「お父さんがやさしくしてくれるもん。だから私もそうするの」
そう言う沙奈子に、玲那もすごく優しい笑顔になった。
「お父さんの真似してるんだよね。私達のお父さん、ホントに優しいもんね」
沙奈子と玲那が、頷きながら僕を見る。ダメだ…、そんな風に言われると…。そんな風に見られると…。僕は布団に座ったまま、涙が抑えきれなくなっていた。
「お父さん、大好き…」
二人がそう声を揃えながら、僕に抱きついてきてくれた。それがまたたまらなくて、余計に涙が溢れた。こんなに幸せでいいのかなって思った。こんなに幸せになれるなんて、信じられなかった。僕も二人を抱き締めて、ただ泣いてしまってたのだった。
「お父さん…、そっち行ってもいい…?」
沙奈子が寝付いた後、玲那がそう聞いてきた。「いいよ」って僕が応えると、布団にもぐった玲那が僕にくっついてきた。
「温かい…。やっぱりホッとする…。お父さんって感じがする…」
沙奈子と同じように僕の腕を枕にして、胸に顔をうずめながらの独り言みたいな玲那の言葉に、僕はただ黙って耳を傾けてた。玲那が続けた。
「お父さん…、やっと会えた…。私の本当のお父さん…。そうだよ…、あれはお父さんじゃない…、本当のお父さんはあんなことしない……」
その言葉が何を意味するのか、僕は敢えて考えないようにした。これは僕に話しかけてるっていうより、玲那自身に向けての言葉だと思ったから。だけどそれに続けて、
「お父さん…?」
それまでと違って問い掛けるみたいな感じの声に、僕は「ん…?」って応えてた。
「本当のお父さんは、私に酷いことしないよね……?」
静かだけど、どこか縋りつくみたいなその問い掛けに、僕も静かに応える。
「うん、しないよ。玲那を泣かせるようなことはしない…。玲那は僕の大事な娘だから……」
すると玲那がさらに言う。
「お父さん、ぎゅっとして…」
言われるままに、僕は玲那をぎゅっと抱き締めた。昨日と違って布団ごしじゃなく、布団の中に手を入れて、直接。
玲那は言った。
「やっぱり本当のお父さんだ…。だって、ぜんぜん嫌じゃない…、気持ち悪くない…、ホッとする…、嬉しい……」
それから静かになって、しばらくしたら玲那は寝息を立て始めていた。それを確かめた僕も、いつの間にか眠ってしまっていたのだった。
ふと目が覚めると、玲那が頭を乗せていた腕がしびれてた。さすがにこのままじゃ寝られないから、申し訳ないけどそっと腕を抜かせてもらった。それでも玲那はすーすーと落ち着いた寝息を立てていた。その様子は、本当に沙奈子と何も変わらないって感じた。体だけは大きくても、中身は沙奈子と同じか、むしろ幼いくらいだと感じた。
彼女がどんな辛い目に遭って来たのか、想像するのさえ怖い気がする。今の彼女の様子は、きっとすごく異様なんだと思う。人によっては寒気を覚えるくらい異常だっていう気もする。だけど僕はあえてそれを受け入れたいと思った。でも同時に、本当のことを聞かされて僕が冷静でいられる自信はまだない。何となく想像するだけで、頭がおかしくなりそうだ。そうだよな。それくらいのことでないと、中学生の女の子が自分の胸を切り落とそうとか考えないよな。
しかし、中学生の頃にそう思ったっていうことは、玲那がそういう経験をしたのはそれ以前ってことか。小学生の頃ってことなんだろうな…。小学生の女の子がどんな目に遭わされたって言うんだ…。そんな小さな子に、どんな酷いことをしたって言うんだ…。
沙奈子がされたかも知れないことだけでもとんでもないと思ってたのに、他にもとんでもないことをするのはいるんだな…。
いや、そういうことがあるのは分かってたよ。僕だってそういうことがあるんだっていうのは知ってる。だけどそれをこういう風に間近で感じるなんて、少し前までは思ってもみなかった。そんなこと、僕には一生、関係ないと思ってた。でもそういうのは、こんなに身近で起こってることなんだなって思い知らされた気がした。
沙奈子も玲那も、どうしてこんなにいい子がそんな目に遭わないといけないんだろう…?。どんな神経してればそんなことができるんだろう…?。分からない。理解できない。想像もしたくない。
沙奈子や玲那が経験してきたことを思えば、僕の辛さなんて、全然大したことなかったんだなってつくづく思う。その大したことない程度の経験だった僕でさえ、まともでいられなかったんだ。それ以上の経験をしてきた沙奈子や玲那が普通でいられる訳がない。だから、他の人からはどんなに変に見えても、異常に思えても、僕はそれを受け入れたいと思う。
そして、それを受け入れることが、僕自身の支えにもなるんだって改めて思わされていた。
 




