千五百六十六 絵里奈編 「すべての責任は僕と絵里奈に」
『子供の周りにいる人間は、親だけじゃない。学校に行けば教師もいる!』
みたいに言う人もいるらしいけど、僕はそんな考え方はできない。
だって、学校は、
『親の尻拭いをする機関』
じゃないんだよ?。
親の不始末を学校や教師に押し付けるつもりなの?。それが『責任ある大人』のすることなの?。
学校だけじゃない。親の『やらかし』の尻拭いを他人に期待するとか、どれだけ甘やかされたいの?。
僕はそんな考え方はできないし、したくもないよ。
沙奈子や玲那や生まれてくる子については、親である僕に一番の責任がある。当たり前じゃないか。
もちろん僕だって完璧じゃないから失敗もすると思う。やらかしちゃうことだってあると思う。だけど、失敗したならまず自分がそれに対処するのが大人として普通のことじゃないの?。仕事で失敗してその責任を誰かに押し付けるのが、まともな大人のすること?。
他人の力を借りるとしても、あくまで自分の責任だというのを大前提にしなきゃ駄目なんじゃないの?。大人として。
自分の失敗ややらかしの尻拭いを他人に丸投げして、
『自分は何も悪くありません!』
って泣けば済むことなの?。社会人として職場でもそんな風にしてきたの?。もし職場ではちゃんとしてたって言うのなら、どうしてそれが『親』という立場になった途端にできなくなるの?。
それをおかしいとは思わないの?。
僕はそれをおかしいと思うから、たとえ『親』という立場であっても自分の責任は自分で負わなきゃって思うんだ。
僕の子供がどんな人間になるかは、親である僕に一番の責任がある。僕が引き受けた仕事については僕に一番の責任があるのと同じだよ。
だから僕は、子供の前で誰かを罵ったり蔑んだり貶めたりっていうのはしたくないんだ。ついうっかりしてしまったとしても、その時には自分の間違いだと認めて、正当化はしないようにしたいと思ってる。
自分は子供の前で誰かを罵り蔑み貶めてるのに、子供には、『他人には優しくしないといけない』とか『思い遣りが大事』とかなんて、
『どの口が言うんだ!?』
って子供に思われても当然じゃないかな。
なのに、子供は親のことを一切批判しちゃいけないなんて、『甘やかされてる』のは親の方だし大人の方だよ。
何度だって言うよ。沙奈子や玲那を僕の子供として迎えることを決めたのは他でもない僕だし、絵里奈との子をこの大変な世の中に送り出そうとしてるのは、僕と絵里奈だ。親である僕と絵里奈なんだよ。今、生まれ出ようとしてるこの子が望んだんじゃない。僕と絵里奈が勝手にそう望んだんだ。この事実を、誰が、どんな詭弁で、引っくり返せるって言うの?。
この子がこの世界に生まれてくることについて、この子には何の責任もない。すべての責任は僕と絵里奈にこそある。
その事実にさえ向き合えないで、何が『親』だよ。『大人』だよ。




