千五百六十五 絵里奈編 「自分の思い通りにならない」
陣痛に曝されてるわけじゃない僕は、沙奈子と玲那の前で、『人を人として敬い気遣う姿』を見せる。
でも同時に、陣痛に曝されている絵里奈が、『周りを気遣う姿』を見せられないのは、当然だとも思う。
だから、またすぐ痛みが来て、
「ちが…っ!。違う……!。触るな……っ!」
腰をさすっていた僕の手を払い除けたことも、もちろんいい気はしなくても、腹は立たない。
彼女が望んでいるさすり方をできなかったのは、僕の方だからね。と言うか、痛みが酷過ぎて触られること自体が苦痛だったみたいだ。
だけど絵里奈の変わりように沙奈子が不安そうだったから、
「心配ない。陣痛の時ってこういうものなんだ。沙奈子だって、児童相談所の時、普通じゃなかっただろ?。それと同じだよ」
縋りつく彼女を抱き寄せて、そう言った。
すると沙奈子も、『ああ…!』という表情になって僕を見る。
そうだ。児童相談所で不安から自分の腕をボールペンで何度も刺したことを思い出して、自分なりに腑に落ちたんだろうな。その時の傷痕を撫でながら、
「分かった……」
って言ってくれた。
傷痕自体は、もうほとんど分からなくなってる。そういうつもりで見ないと、たぶん、肌の色味がちょっと違ってる程度にしか感じられないだろうな。首の後ろにある、『煙草の火を押し付けられたらしい痕』に比べればずっと綺麗に治ってる。病院での処置もよかったからかもしれない。それに比べて、首の後ろのそれは、きっと、治療もされずに放っておかれたんだろうし……。
そういうことも含めて、僕は、自分の目の前にある現実をちゃんと受け止めたいと思うんだ。自分の思い通りにならないからってキレるんじゃなくて。キレたところで嫌な現実がなくなるわけじゃないし、問題は何も解決しない。仕事で何かミスがあってそれでパワハラ上司がキレたからってミスが消えてなくならないのと同じだよ。そこで必要なのは『感情』じゃなくて『具体的な対処法を思い付くこと』なんだから。
陣痛に曝されて普段とは違ってしまってる絵里奈にキレたって、沙奈子が余計に怯えるだけだ。しかも、
『自分の思い通りにならない状況にキレる大人の姿』
を子供に見せて何になるんだ。ましてや僕は、沙奈子の『親』だ。
世の中では、いまだに、
『親だけが子供の人格や性格を作るわけじゃない』
ってのを信じたい人がいるみたいだ。だけど僕は、実際に『親』になってみて子供を育ててみて、そんなのは、
『自分の責任を認めたくない甘ったれの考えだ』
としか思えなくなったんだよ。




