千五百六十四 絵里奈編 「人を人として敬い気遣う姿」
「絵里奈…、大丈夫……?」
呻きながら陣痛に耐えている絵里奈を見て、僕は思わずそう声を掛けてしまった。すると、
「大丈夫なわけないじゃん……っ!」
絞り出すように彼女は応えた。いつもの、いまだに僕に対してはやけに丁寧な話し方をするそれじゃなかった。
「そうか…。そうだよね…」
その言い方はもちろんいい気がするものじゃなかったけど、だからって、
『気遣ってやってるのにその言い方は何だ!』
みたいには思わなかった。むしろ、
『それだけ辛いんだな……』
と思っただけだった。
「お母さん……」
絵里奈の剣幕に沙奈子も不安そうだったから、
「大丈夫。痛くて普通でいられないだけだよ」
なるべく穏やかに声を掛けた。すると、
「……ごめんなさい……」
絵里奈の声が。僕の手にも、彼女の体に入ってた力が少し緩んだのが分かった。
「ちょっと落ち着いてきました…。本当にごめんなさい……」
こっちに顔を向けることはないままに、でもいつもの感じの話し方に戻ってる。
「いいよ。気にしてない。と言うか、代わってあげられない以上、僕にできるのは今の絵里奈を見守るだけだから……」
するとまた、
「ごめんなさい……」
だって。余裕がなくて、他に言葉が出てこないんだろうなっていうのも察せられた。
「ううん。僕の方こそごめん。本当にありがとう」
こんなに辛そうなのにそれでも僕を気遣ってくれる彼女には感謝しかない。
世の中には、今の絵里奈を気遣うのを、
『母親を甘やかすな!』
的に言う人もいるらしい。だけど、絵里奈がこうなったのは僕が彼女を妊娠させた所為だという事実の前には、そんな言葉に耳を貸す気にはなれない。今の絵里奈を気遣うことのどこが『甘やかし』なのか、まるで理解できない。僕の子を生みたいと望んだのは確かに彼女だけど、だからといって僕が彼女を妊娠させた事実は消えてなくならない。
そして、今の絵里奈を気遣えないような僕に、
『人間を育てる』
なんてことができるとは思わない。
生まれてくるのは僕が愛している絵里奈の子供で、『人間』なんだ。ペットでもロポットでもない。人間なんだよ。人間と接する時に相手を敬う気持ちと気遣いを忘れて、何が『大人』だよ。嫌いな相手まで完全には気遣えなくても、今、ここで苦痛に耐えているのは『僕の愛する人』なんだ。愛する人も気遣えないで、子供を人間として育てられる気はしない。
犬猫を飼うんじゃない。『人間を育てる』んだ。
しかも、今でも、沙奈子と玲那という『僕の子供たち』がここにいる。
子供の前で、陣痛に曝されてるわけでもない僕が、『人を人として敬い気遣う姿』を見せることもできないで、人間を育てるなんて大それたことをするとか、思い上がり以外の何ものでもないんじゃないかな。




