千五百六十 絵里奈編 「言うことを聞いてもいい大人」
九月二十五日。金曜日。雨。
火曜日のそれは『前駆陣痛』だったみたいだけど……
『お父さん、陣痛だ。たぶん今度はマジもん! 先に病院に行ってるから、お父さんは慌てないでゆっくり来て。どうせ実際にお産が始まるのは何時間もかかると思うし』
仕事を終えた僕が帰り支度をしてるところに玲那からそうメッセージがあった。
『分かった。僕も気を付けて向うからよろしく』
そう返信して、自転車置き場に行ってレインポンチョを着て、万全の用意をして出発する。
僕は、傘差し運転はしない。沙奈子が来る以前には何も考えずに傘差し運転をしてしまってたけど、沙奈子に対して、
『傘差し運転は駄目だよ』
と言おうとした時、自分はそれをしてしまっていたことに気付いたんだ。そして、僕の両親は『傘差し運転は禁止されてる』とも教えてくれなかったし、そもそも両親自身が平気で傘差し運転をして信号も無視して夜は無灯火って有様だった。
そんな両親に、『傘差し運転は禁止されてる』とか言われたらそれこそ、
『お前が言うな!!』
って反発してたのが分かるから、親である僕が手本にならなきゃ『お前が言うな!!』って思われるだけだと実感したんだ。ちょっと面倒臭いとか手間だとかいうだけでルールを無視する『甘えた大人の姿』を子供が真似しないはずがないよね。
以前、一緒に水族館に行った時に千早ちゃんが、『横断禁止』の道路を横断してた大人の姿を見て、
「あ~、あんな大人に偉そうに何言われたって私は言うことなんか聞きたくないね。ほんの百メートルとか迂回するだけで済むことじゃん。別に、今、ここで、横断を禁止されてるのを無視して渡らなきゃ命に係わるようなことじゃないじゃん。たった百メートルを歩くのも無理なほど足腰弱ってるわけでもないじゃん。めっちゃスタスタ歩いてたじゃん。なのに『メンドクサイ』からってルール無視するとか、甘えてるのはお前だっての。甘ったれてる大人の説教とか、ゴミオブゴミだよ」
ってボやいてた。
そう言いたくなる気持ちは、ものすごく共感できる。
ただ、言い方については、
「千早、そういう言い方は自分自身を貶めますよ」
星谷さんが諫めてたけどね。
「うん、まあ、分かってるんだけどね。他人の前では言わないよ。言わないように気を付けてるよ」
『あんな大人に偉そうに何言われたって私は言うことなんか聞きたくないね』と言いながらも、星谷さんの言葉には素直に耳を傾けてた。つまり千早ちゃんにとって星谷さんは、『言うことを聞いてもいい大人』ってことなんだろうな。




