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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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百三十四 沙奈子編 「嗜好」

沙奈子に見送られて会社に向かう。英田あいださんのこともある意味ではもうすっかり日常の一部になってた。僕は僕の出来ることをするだけだ。他は知らない。


午前中の仕事を終えて社員食堂に行くと、伊藤さんと山田さんもちょうど来たところだった。


「運動会のお弁当のことですけど、沙奈子ちゃん、何か嫌いなものとかありますか?」


山田さんがそう聞いてきた。もうメニューを決める段階なんだと思った。だから僕は答えた。


「どうしても食べられないものってないみたいだけど、ツナが苦手みたいなんだ。あと、辛いものもたぶんダメ」


僕の言葉に、伊藤さんが反応した。


「へえ、ツナが苦手って、ちょっと珍しいですね。何か原因があるんですか?」


と言われて、僕も思った。ああ、そう言えばなんでだろう。理由は僕も知らない。あまり気にしたこともなかった。仕方ないので正直に言った。


「さあ、僕も知らない。でもどうしても食べられないわけじゃないから、別にうるさく言う気はないんだ」


そんな僕に山田さんが言う。


「大丈夫ですよ。せっかくの運動会のお弁当に苦手なのって嫌じゃないですか。好きなものだけにしようと思います。だから、沙奈子ちゃんが好きなものは何ですか?」


えっと、沙奈子の好きなものと言えば…。


「確か、スパゲティ、トマト、煮干し、コロッケ、ハンバーグ、アジフライ、白身魚のフライ、とかかな。お弁当のおかずになりそうなものだとそんなところかも。あと、肉よりは魚が好きかな。だから唐揚げよりは魚のフライが好きって感じだと思う」


僕がそう言うと、山田さんが嬉しそうに笑った。


「分かりました。それだけ聞けば十分です。頑張ります」


ガッツポーズをしながらそう言ってくれたのを見て、沙奈子のためにお弁当を作ってくれるとか申し訳ないなと思いながら、たぶんそれが山田さんにとっても幸せなことなんだろうなって感じたのだった。そんな山田さんを見て、伊藤さんもなんだか嬉しそうだった。ただそれと同時に、


「でも沙奈子ちゃん、魚が好きなのにツナは苦手って、やっぱり面白いですね」


と言われて、僕もそう言えばそうだなって思った。ただお刺身が好きだから、それでかも知れないと何となく思ってたりはした。何しろ僕も、刺身にした方がおいしいのに、どうしてこんな風にするんだろうとか思ってたりしたから、ひょっとしたら同じような理由だったりしてね。


まあそれはさて置いて、とにかく運動会のことはこれで万全なのかな。万が一、山田さんの都合が悪くなったりしたらその時は申し訳ないけどコンビニ弁当でも買って持って行ってもらおうとは思った。だからなるべくそうならないようにって願う。


午後からも仕事に集中した。余計なことは考えないようにして、とにかく必要なことをこなした。今週からは英田さんも残業するようにしたらしい。ちょっとづつ、英田さんにとっても今が日常になりつつあるのかなって感じた。


仕事を終えて家に帰って、今日も沙奈子の無事な姿を確認してホッとする。お風呂の後におつかれさまのキスをもらってさらに癒される。僕のお返しのキスに微笑んでくれる沙奈子の姿にもっと癒される。


今日はちょっと早めに帰れたからか彼女も裁縫セットを出してきた。月曜日火曜日に接着剤で作った分が乾いたからボタン付けをするってことらしい。ミニドレスになってワンピースよりも時間がかかるからか、一度に作れる数は減ったみたいだけど、それでもどんどん服の数が増えてきてる。だから僕はふと思った。この調子で増え続けたらどうなるんだろう…。


さすがにそれはそれで大変かもしれない。もしよかったら友達にあげるのとかもありかな。とは言えまだ人にあげられるほどの品質じゃないのか。沙奈子は部品を切り出す時にそのまま直接切り出してるからか、よく見ると形が歪だったりした。僕が見てる限りだとそれはそれで味かなと思ったりしても、他人が見るとやっぱり変に感じるかも知れない。この辺りが今後の課題なのかなと思った。


洋裁には詳しくない僕でも、型紙とかいうものを使って部品を作ることは知ってる。動画を見ながら服を作ってる沙奈子もたぶん知ってると思う。ただ今はとにかく『作る』ことが楽しいし練習としてやってるってことなのかもしれないとは思ったりする。


とその時、不意に沙奈子が振り返って言った。


「お父さん、ほうがんしってある?」


ほうがんし?、ああ、方眼紙か。


「いや、今はないけど、いるんなら買ってくるよ」


僕がそう言うと、沙奈子は嬉しそうに、


「じゃあ、おねがい。服を作るのにいるの」


って言ってくれた。そう、沙奈子がそう言ってくれたんだ。自分から『お願い』って。


「うん、分かった。買ってくるよ。コンビニか、コンビニに無くても文房具も売ってる本屋なら売ってると思う。明日にでも買ってくるよ」


僕は思わず少し浮かれた感じでそう応えてた。彼女が自分から欲しいものをお願いしてくれたことが、改めて嬉しかった。どうしてこんな事でこんなに嬉しくなるのかって思ったりするけど、嬉しいんだから仕方ない。


大人に怯えて自分の気持ちも欲しいものも口に出さなかったこの子が、ちゃんとそういうことを言ってくれるようになったんだ。それが当たり前っていう人にはこの嬉しさは分からないかも知れないな。そんなことを思いながら、嬉しさを噛み締める。


「沙奈子、大好きだよ」


思わずそう声に出てしまった。そしたら彼女も振り向いて、


「私もお父さん大好き」


って笑顔で言ってくれた。ああもう、なんていい子なんだ!。ちくしょーっ!。


ぎゅーって力いっぱい抱き締めてぶんぶん振り回してあげたくなるのをこらえてそっと頭を撫でた。今は針を使ってるから危ないし、何よりそんなことしたら沙奈子が壊れてしまいそうだから。


身悶えるような幸せを感じながら、僕は必死に自分を落ち着かせた。そうそう、そういうのは僕たちのキャラじゃない、ノリじゃない。クールダウン、クールダウン。


でも顔がにやけてしまうのまでは抑えられなかった。他人から見たら本当にだらしない、崩れきったデレッデレの顔になってると自分でも分かった。だけどまあいいよな。そのくらいなら。


本当にちっぽけな幸せだけど、これ以上の幸せがあるとか、僕には正直言ってピンとこない。僕にとってはこれでも十分以上どころか怖いくらいの幸せだ。こういうちっぽけな幸せを積み重ねて、毎日毎日それを糧にして、ひっそりと生きていきたい。それさえできれば、地位とか名誉とかなんて少しも欲しくない。むしろこのちっぽけな幸せにとってはそういうのは邪魔になりそうな気さえする。


そんなことを頭の中でぐるぐるさせながら、この日も僕たちの一日は終わるのだった。


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