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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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百二十八 沙奈子編 「狂気」

少し薄暗くなり始めた部屋の中で、沙奈子と山田さんが、人形を間にしておしゃべりしていた。その様子は、さっきまでの楽しそうなのとは少し違ってる感じに見えた気がした。でも何が違ってるのか僕にはよく分からなかった。そんな僕に、伊藤さんが静かに話しかけてきた。


「山下さんも、気が付きましたか…?」


え…?、それってどういう…?。


戸惑う僕に伊藤さんが続けた。


絵里奈えりなの様子、普通じゃありませんよね。まるで本当に生きてる人を相手に喋ってるみたいに、人形に話しかけるでしょう?」


その言葉に、僕もハッとなった。自分が感じてた違和感の正体が分かってしまった気がした。


「あれが、絵里奈が抱えてる闇なんです」


『闇』。その言葉に、僕は思わずギョッとなった。伊藤さんを見ると、それまでとは違う彼女の姿がそこにはあった。どこか悲痛な感じが、まるで涙を流さずに泣いてるみたいな顔だと思った。彼女は言った。山田さんを見ながら静かに、淡々と。


「絵里奈の闇は、まだ晴れてないんだと思います。香保理かほりが亡くなった後で、香保理に似た人形と出会ったんです。そしたら絵里奈は今度はローンまで組んでその人形を迎えました。でもその人形を迎えてからは様子がマシになっていって、それが彼女にとっての救いになってるんならって私は何も言わないようにしていました。幸い、そのローンも先月で終わりましたけど」


そこで一旦言葉を切った伊藤さんを、僕は見詰めた。山田さんの闇…。もしかするとそれは、自分の心の傷を人形によって穴埋めしようとしてるということなのかと僕は思った。亡くなった友達に似た人形を、ローンまで組んで買う…。確かによくある話とは言い難い気はしてしまう。どう反応していいか分からずにいる僕を見ながら、伊藤さんは少し困ったように笑って、また言葉を吐き出した。


「ただそれからちょっと、別の困ったことが…」


「困ったこと…?」と、僕も思わず聞き返していた。伊藤さんは続ける。


「香保理の人形と、莉奈とで、どう接していくのか絵里奈は迷ってたんですよね。と言うのも、人間は自分のことは自分で出来ますけど、人形は全部人が面倒を見なくちゃいけないから、どうしてもどっちかに比重が偏っちゃうそうです。それでつい、莉奈の方のお世話が疎かになっちゃったって…」


それは僕には理解できない話だった。人形のお世話?。お世話って、何をするんだろう…?。そう思いながら、おしゃべりを続ける山田さんを見た。薄暗くなりかけた部屋の中で沙奈子と人形を相手に楽しそうにおしゃべりをする山田さんの姿が、何か不思議なものに見えた気がした。まるで、沙奈子と人形と自分しかいないような感じで話してるように見えた。伊藤さんが続けた。


「私から見たら十分ちゃんとやってるって思うんです。ただ、絵里奈にとっては後ろめたさも感じるくらいだったみたいです。山下さんの前では普通にしてましたけど、私と二人だけの時なんかにはたまに『自分は駄目だ』って泣き出したりしてたんです」


そんなことが…?。


「だから、山下さん。莉奈をもらってあげてくれませんか?」


思いがけないその言葉に、僕の口からは「ええっ!?」って、素っ頓狂な声が漏れてしまった。ど、どうしてそういう話になるんだ!?。


うろたえる僕を、山田さんも見ていた。その目に、思わず息を呑んだ。それをなんて表現していいのか、僕はよく分からなかった。ただ、辛うじて知ってる言葉を当てはめるのなら、『狂気』って感じになるのかもと思った。僕に向かって姿勢を正して、山田さんが頭を下げた。


「山下さん…、玲那れいなが言った通りなんです。私は今日、莉奈を沙奈子ちゃんと山下さんにお迎えしてもらいたくて、来たんです…」


お迎え…?。お迎えって何?。どういうこと…!?。


「私からもお願いします。もし迷惑じゃなかったらでいいから、莉奈を迎えてあげてください。この通りです」


そう言って頭を下げる二人に、僕はただ呆然とした。一体、何がどうしてこうなったのか分からないほどだった。狂気すら感じるくらい思い入れの強い人形を預かるなんて、僕にできるんだろうか?。いや、できる気が全くしない。人形の世話なんて、それこそ僕には異次元の話だ。『迷惑じゃなかったら』って、いやいや、迷惑以外の何物でもないんじゃないかな。


しかも、そういうのが頭の中をぐるぐると駆け回っていた僕を沙奈子がすがるような目で見ていた。『うん、って言って、お父さん』って、その目が言ってる気がした。沙奈子はもう完全にこの人形を預かる気になってるのが分かった。


僕は必死に考えた。とにかく頭の中を整理して、冷静に考えることに努めた。


確かに、生き物を預かるのとは訳が違う。吠えないし鳴かないし動き回らないしトイレもしないし食べ物も要らないし。ただそこに置いておけばいいだけだっていうのはある。別に大袈裟に考える必要はないのかもしれない。でもその一方で、そんなに大事にしてた人形がもし壊れたりうっかり壊しちゃったりしたらと思うと、簡単に頷けない…。


そんな僕の思考を察したかのように、山田さんが口を開いた。


「ごめんなさい。ご迷惑だっていうのは私も分かってるんです。でも、山下さんと沙奈子ちゃんだからこそお願いしたいんです。この子にもしものことがあっても責めたりしません。だからお願いします」


ほとんど土下座みたいにして、山田さんが、床に着くくらいに頭を下げながら言った。その姿を見て、『これが、山田さんの抱えてる闇の一端なんだ』と改めて実感できた気がした。普通の人が見たら、頭がおかしいと言うかも知れない。たかが人形のことで何言ってるんだって思われるかも知れない。だけど山田さんにとっては、ここまでする必要のあることなんだって思った。自分が抱えてるものをここまでさらけ出して助けを求めてるんだって、分かった気がした。


…そうだよな。僕は、沙奈子のことで二人にはとてもお世話になってる。助けてもらってる。ふと、ここに来た時に彼女たちが首に巻いていた、僕が送ったストールを思い出す。うん、そうだよ。あんなストール一枚じゃ彼女たちからもらった恩とは釣り合わないって僕も思ってたじゃないか。だったら、人形を預かるくらい…。


僕の中で何かがすとんと収まる感じがして、見詰める沙奈子の頭をそっと撫でながら僕は言った。


「分かりました。お預かりします。沙奈子の妹としてね」


ほとんど無意識に、そう言葉が出ていた。


この時の山田さんの様子に狂気のようなものを感じたのは、間違いなく事実だ。だけどそれはきっと、僕の中にあるものと形は少し違っても、同質のものなんだと思う。だからこそ僕たちは、お互い惹かれ合うように知り合ったんじゃないのかな。結局、似た者同士なんだな僕たちは、と思ったのだった。


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