百二十一 沙奈子編 「参観」
今日は、沙奈子の学校の参観日だ。有休を取って僕もしっかり行く気になってる。だから朝もゆっくり一緒にいられる。
「二時間目くらいに行くからね」
と言った僕に、彼女は「うん!」と大きく頷いてくれた。今日は僕がいってらっしゃいのキスをして、沙奈子がお返しのキスをしてくれる形になった。
沙奈子を見送った後、軽く掃除をして洗濯をして、ご飯を炊く用意もしておいた。それからは家でもできる範囲で少し仕事をした。
それにしても、沙奈子がいない部屋って久しぶりだな。あの子が臨海学校に行った時以来だっけ。決して広くないはずの部屋が、やけに広く感じる。それに何だか寒い気もする。だから僕は、コタツを出してきた。テーブルを片付けて、コタツに置き換える。念のために電源のケーブルに異常がないかどうかも確認した。よし、大丈夫そうだな。さっそく使ってみる。どこも問題なさそうだった。
一応、暖房器具としては石油ファンヒーターもあるけど、沙奈子一人の時に使うのは心配だから敢えて出さないでおこう。使うのはコタツとエアコンだけにしておいた方が良さそうだ。
そう言えば、今年の夏はエアコンを使いっぱなしにしてたからか電気代が結構かかったな。暖房としてエアコンを使うとなるとまた高くなりそうだ。その辺は覚悟しておいた方がいいかもしれない。とは言え、夏も寸志に毛が生えた程度とはいえ一応ボーナスも出たし、電気代はそれでまかなえたから冬も何とかなるかな。
そんなことを考えてる間に時間になった。よし、そろそろ行こうか。
学校へは、自転車とか自動車では来ないように言われてる。そのはずなのに以前、個人懇談で学校に行った時にはけっこう自転車がとまってた気がする。でも僕は言われたことには従おうと思った。でないと、沙奈子に『規則を守らなきゃ』って言えないと思ったから。言わなくても守ってくれる子だけど、やっぱり僕が決められたことを守らないところを見せるのはマズい気がする。
だから歩いて学校に向かった。避難訓練と称して沙奈子と一緒に学校まで歩いたのが役に立った。あの時の道順通りに歩くと、10分かからずに学校に着いた。父兄だってことを示す名札を首にかけて、校門をくぐる。さすがに今日は開けられてた。その代わりか、<見守り隊>と書かれたベストを着た高齢者の人が何人か立ってた。
「お疲れ様です」
と声を掛けられたから僕も、
「ごくろうさまです」
って頭を下げた。こうやって皆で子供達を守ろうとしてるんだなって実感した。校舎の入り口に、どこで授業してるかの案内があった。沙奈子は教室で国語の授業をやってるみたいだ。今日はちゃんとスリッパを持ってきて、履き替えた。個人懇談の時にも来たから教室はすぐに分かった。今日は一日中授業参観ということだから分散するかと思ってたら、けっこう父兄の人たちが来てた。
僕も遠慮がちに廊下側の窓からそっと教室を覗き込んで、沙奈子の姿を探した。と思ったらまず石生蔵さんの姿を見付けてしまった。次に大希くんを見付けて、それからやっと沙奈子を見付けられた。真ん中の辺りの目立ちにくそうなところに彼女はいた。しばらく見てると、不意に沙奈子が何かの気配を感じたみたいに僕の方を見た。
目が合ったから思わず小さく手を振ってしまった。そしたら照れ臭そうに彼女は笑った。ちゃんと僕が来たことを分かってもらえて良かったと思った。
国語の授業ということで、『ごんぎつね』の話をしていた。そして、最後に狐のごんがどうして死んでしまうことになったのかっていうのを、いくつかのグループに分かれて話し合い、その結果を発表するという形になった。グループに分かれ話し合ってる時は教室内が結構にぎやかになった。それからしばらくして担任の水谷先生が「そろそろまとめてください」って声を掛ける。さすがにすぐには静かにならなくて何度か「はい、そろそろ終わりです」と何度か声を掛けてやっと静かになった。一声で静かにならない辺りはやっぱり子供だなと思ったりもした。
ただ、僕がこの時、少し気になったのは、沙奈子の様子だった。彼女は終始、ほとんど口を利かずに他の子たちの言ってることに頷いたりしてるだけだった。しかもその時の表情が、どことなく固いように僕には見えた。それが、ごんぎつねの悲しい話によるものか、それとも彼女がまだ完全には他の子と馴染めてないからかなのかはよく分からなかった。残念なことに大希くんや石生蔵さんとは別のグループだったから、二人と同じだったりしたらまた違ってたのかなとは思った。
それでも、同じグループの女の子が沙奈子に話しかけてくれたり、沙奈子が頷いたりしたのを他の子に伝えたりしてくれてる感じだったから、孤立してるとかそういうのでもなさそうだったのはちょっと安心した。沙奈子の性格からしたら、これは十分に頑張ってると言えるのかもしれないっていう気がする。
確かに、ニコニコ笑顔でクラスの皆と楽しそうにしてるってのが理想だとは思う。でもその理想通りじゃないからって気にしすぎるのも違うのかもしれないと僕は思ってる。何しろ、小学校の頃の僕は完全に孤立してる感じだったもんな。それに比べたら沙奈子の方がよっぽどうまくやってるかも知れない。理想通りに行ってないからってダメってわけじゃない。沙奈子には沙奈子のペースとか距離感があるはずなんだ。それで考えたらこれはこれでいいんじゃないかな。
グループ別での発表の時になっても、沙奈子は結局、ほとんど口を開かなかったように見えた。だけど他の子たちもそれに対して怒ってるとかイライラしてる感じはなかった。この子はこういう子なんだっていうのが分かってくれてるのかなって感じた。
そんな感じで授業が終わって休憩時間になると、途端に教室内が騒がしくなった。
「沙奈子ちゃんのお父さん、こんにちは!」
って僕に声を掛けてくれたのは石生蔵さんだった。この前に会った時、ホットケーキの話題でテンションが上がってた時と同じ顔だった。どうやら本当に例の大希くんの家庭教師の人にお姉ちゃんになってもらったという話は大事じゃなかったんだって感じた。それから大希くんにつれられるように沙奈子が僕のところに来た。
「こんにちは」
声を掛けてくれたのは大希くんだった。沙奈子はちょっと照れ臭そうにもじもじしてた。
「沙奈子も頑張ってたと思うよ」
僕がそう言って頭を撫でると、嬉しそうに笑ってくれた。するとその脇から、
「ねえねえ、この人が沙奈子ちゃんのお父さん?」
「若いね~」
「いいな~、私のお父さん、全然オジサンだもんな~」
とか、女の子たちが集まってきてそんな風に声を掛けてくれた。その様子を見て、ああ、何だかんだ言ったってけっこうちゃんとクラスで認めてもらえてるんだって、僕は実感できたのだった。




