百十七 沙奈子編 「錯綜」
スーパーでの買い物を終わらせて、僕たちは家に帰ってきていた。夜に出かけるのは久しぶりだったからか沙奈子も少し興奮してた気がする。そういえば僕も昔は、暗くなってからの外出って何気に興奮したよなって風呂に入りながら思い出してた。
でもまあそれはどうでも良くて、僕が風呂から上がると沙奈子は早速、裁縫セットを出してきた。改めて帰ってきた時に沙奈子が手にしてた人形の服を見ると、僕の知らない生地で出来たもので、しかもそれまでのとは少し形が違ってた。と言っても、短めのワンピースだったものがロングのワンピースになったという程度の違いだったけど。あと、肩紐のところが土曜日に買ったレースみたいな紐とはまた別のもので出来てた。どうやら、昨日、山田さんと一緒に買ったもので作ったらしい。
僕がいない時に作ったらしいそれは、接着剤を使ったものだっていうのは分かった。だから背中のボタンがまだついてなかった。しかもまだクリップと洗濯ばさみで接着部分が止められてた。接着剤が乾くまでは触れないからということなんだろうな。沙奈子はまた山田さんと一緒に買った布からパーツを切り出して、今度は針と糸で縫い始めた。
それを一通り縫い上げると、彼女は時計を見た。もうすぐ10時だった。だからか、自分で裁縫セットを片付け始めた。ボタンを付けるところまでは今日は無理だと判断したんだろう。
せっかく彼女が片付けてくれたから少し早いけど寝る用意を始める。さっきまでは沙奈子が集中してたし針を使ってるから変に話しかけると危ないと思って聞かなかった学校のこととか石生蔵さんの様子について寝ながら聞きたいと思ったというのもあった。
布団を敷いて二人で横になると、僕は聞いた。
「今日、学校はどうだった?」
沙奈子が応える。
「面白かった」
僕がまた聞く。
「石生蔵さんはどうだった?」
いつも通りの質問に、彼女はちょっと考えて、それから答えた。
「ふしんしゃの人にお姉ちゃんになってもらったって言ってた」
……は…?。今、なんて…?。
一瞬、沙奈子が何を言ったのか理解できなかった。理解できなくて彼女の言葉を何度か自分の中で繰り返してみてやっと意味が浸透してきた。
「不審者の人にお姉ちゃんになってもらったって…?。石生蔵さん、そう言ってたの?」
自分の理解が間違いじゃないって確認するためにそう聞いたら、彼女は確かに頷いた。
えええ…?。聞き直してみても意味が分からない。確かその不審者の人って、大希くんの家庭教師だっていう人だよな。その人に今度は『お姉ちゃんになってもらった』って?。どういうこと?。
「石生蔵さん、他に何か言ってた?」
さすがに情報が足りな過ぎると感じてせめてもう少しと思って聞いた。すると沙奈子が当たり前みたいに答えた。
「ホントのお姉ちゃんにいじわるされたのを助けてくれたって言ってた。いじわるなホントのお姉ちゃんをやっつけてもらって、そのかわりにお姉ちゃんになってもらったって」
ダメだ…、僕の理解を完全に超えてる。聞けば聞くほど意味が分からない。僕は必死で情報を整理した。え、と、石生蔵さんには血の繋がった本当のお姉さんがいて、でもそのお姉さんが意地悪してきて、それを大希くんの家庭教師の人に助けてもらったっていう意味でいいのかな。でも『やっつけてもらった』って、どういう意味だろう。何か乱暴なことをしたんじゃなければいいけど、もしそうだったらもっと騒ぎになってるのかな。そうじゃないってことは、そんなに無茶なことはしてないってことでいいのかな。
「やっつけてもらったって、どんな風にやっつけてもらったのか分かる?」
どうしてもそこが気になったからさらに聞いてみる。だけど次の沙奈子の言葉に、僕は耳を疑った。
「ガードマンの人も来たって言ってた」
ガ、ガードマン!?。ガードマンの人まで来たってなんだそれ?。結構な大事になったんじゃないのか?。普通に事件だろそれって!?。
ただ、驚く僕とは裏腹に、沙奈子はすごく落ち着いたものだった。だからその話をしてた石生蔵さんがきっと落ち着いてたんだと思う。それに学校からは何もメールは来てない。それなりの事件が起こったのならたぶんメールぐらいは来るはずだ。ということはやっぱりそんな大事じゃないってことでいいのかな。だけど、全く状況が想像できない。
大希くんの家庭教師の人が石生蔵さんのお姉ちゃんをやっつけてそこにガードマンも来て……。
やっぱりどう考えても事件レベルじゃないのかな。なのにそれを平然と話す石生蔵さんって、何があったんだ本当に…!?。
考えれば考えるほどわけが分からなくなっていく。僕はますます混乱していく。混乱しながらもいつもの『おやすみなさいのキス』をして、沙奈子からはお返しのキスをもらって、彼女はそのまま寝てしまった。
うわ~、気になる。ものすごく気になる。一体、何があったんだ。何が起こってそうなったんだ?。これは明日にでも山仁さんに電話してみるべきかなって思いつつ、僕はしばらく寝ることができずにいたのだった。
翌日の火曜日も、沙奈子から聞いた話が気になって、僕は少し上の空だった。当の沙奈子が落ち着いてるから救われてるけど、聞いた話だけだとどう考えても何か結構な事件が起こったんだとしか思えなかった。
昼休みの伊藤さんと山田さんの話は今日は世間話レベルの内容だったからそんなに入り込まなくて済んだのが幸いだった気もする。この上何か気になる話をされたらオーバーヒートしてしまいそうだ。
残業の時間になって、夕食をとりに社員食堂に行った僕は、どうしても気になって仕方なくて、とうとう山仁さんに電話を掛けてしまっていた。
「あ、山下さん、お久しぶりです」
そう言ってくれた山仁さんの声は、すごく落ち着いたものだった。おかげで僕も少し落ち着けた気がした。でも長話をしてる暇はないから、不躾とは思いつつ沙奈子から聞いた話をそのままぶつけてみたのだった。すると山仁さんから返ってきたのは、意外な言葉だった。
「その話ですか。私も子供たちが話していたのを聞いただけですから込み入った事情までは把握してませんが、もう解決したようですよ」
と、穏やかに話す山仁さんに、僕は言葉も出なかった。
「千早ちゃんのお姉ちゃんをやっつけたというのは、お姉ちゃんの嘘を彼女が看破したことを子供らしい表現で表したものでしょう。それと、ガードマンというのは、彼女自身の身辺警護をしてくれているガードマンらしいです」
彼女…、彼女っていったい…?。
そんな僕の疑問に答えるように、山仁さんは言ったのだった。
「彼女は、私の高校生の娘の同級生で、大希の家庭教師もしてくれてる女の子です。若干、思い込みが激しくて行動力があり過ぎる面はありますが、利発でいい子ですよ。千早ちゃんとちょっとした行き違いはありましたが、先日の日曜日に仲良くなれたようです。それで千早ちゃんが本当のお姉ちゃんのように慕うようになったみたいですね」




