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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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百十一 沙奈子編 「嬉涙」

お風呂の後、沙奈子はさっそく聞いてきた。


「裁縫セット使っていい?」


駄目だと言う理由もないから僕はもちろん「いいよ」と応えた。すると沙奈子は、まずこれまで作った服にボタンを付け始めた。小さな服に小さなボタンをつけるのはさすがに大変だったみたいだけど、一つ目に付け終わって、それを人形に着せてみた。


「おお~」


思わず声が出た。正面から見たらそんなに変わってなくても、後ろから見たらやっぱりセロテープじゃなくてしっかりと閉じられていて、ちゃんと服になってる感じがした。沙奈子もすごく嬉しそうだった。


それからは、接着剤で作った服にもボタン付けをしていった。僕にとっては何がどう面白いのかも分からない地味で同じような作業を沙奈子はすごく楽しそうにこなしてた。こういうのを楽しめるっていうのはやっぱり才能なんじゃないかなって気がする。


一着にボタンを付け終えるだけで一着作るくらいの時間がかかってた。よくそれで嫌にならないなってどころか、ずっと楽しそうだった。そう言えば、昨日も今日も、沙奈子は『痛い』って言ってない気がする。もう針で指を突かなくなったのか、それとも少しくらい突いても気にならないくらい集中してるのか。


それがどっちでも、上達してるのは間違いなかった。と思う。何しろ僕には洋裁についての知識が全くないから、もうこの時点で何をやってるのかついていけてないんだ。


結局、全部の服にボタンを付け終わったらもう11時を過ぎていた。これはマズいと急いで片付けて、人形の服は机の上に並べた。中々壮観だと思った。でも見とれてる時間はない。布団を敷いてトイレに行って、二人で寝た。静かになるとまだ雨が降り続いてるのが分かった。雨音に包まれて、僕たちは眠りについたのだった。




日曜日の朝。また二人でコンビニまでサンドイッチを買いに行って、食べた。そして掃除をして洗濯をして、午前の勉強をした。代り映えのしない一日の始まりだけど、僕たちにとってはそれが楽しかった。それが幸せだった。ただ今日は、雨も上がってるし、ちょっと遠出して、大きな商店街に行ってみようと思った。


と言うのも、そこに何やら洋裁をしてる人には有名な専門店があるっていうのが、沙奈子のために洋裁のことを少し調べた時に出てきたからだ。何でも、三階建てのビルの全部が洋裁関係の売り場だっていう。いったい何をそんなに売っているのか僕には想像もつかなかった。午前の勉強が終わったら行ってみようと思った。昼食も、その商店街の中でレストランにでも入ればいいと思った。


そうなると当然、今日のお昼はホットケーキじゃなくなってしまう。沙奈子はそれを残念がってたけど、大きな洋裁専門店に行けるというのもすごく興味を惹かれてたみたいだった。だから今日は、夕食をホットケーキにするということで手を打った。午後の勉強は、まあ今日はお休みかな。たまにはいいよな。


ってな訳で、朝の勉強を終わらせてから僕たちは、駅に来ていた。家を出る前に沙奈子には酔い止めの薬を飲んでもらって、電車に乗る。そう言えば、沙奈子と一緒に電車に乗るのは海に行った時以来じゃなかったかな。日曜日の午前中だけど、けっこう混んでた。海に行く時は逆方向の電車で、しかもほとんど各駅停車みたいなのに乗ったから空いてたけど、僕たちが住んでる町がある市は日本でも有数の観光地だから、市の中心部に向かう方は観光客や遊びに行く人が多いんだ。


沙奈子も人が多くて少し不安そうだった。椅子には座れなくても電車に乗ってる時間は10分もないからそれは大丈夫だと思う。ただ、たくさんの知らない人に囲まれてるというのが苦手なんだろうと思った。僕も苦手だ。だから彼女は僕にしっかりと抱きついて、僕は彼女の体をしっかりと支えた。


電車は途中から地下に入り、外の景色も見えなくなった。すると沙奈子はますます不安そうな顔をしてた気がした。背中をさすってあげて、僕を見上げる彼女に向かって「大丈夫。もうすぐ着くよ」って言った。彼女は頷いて、さらに僕にギュッと抱きついてきた。地下に入ってからはそれこそ5分程度だった。


駅を降りても、すごい人だった。僕もたまにしか来ないけど、相変わらずだなって思った。そして僕が目指してる商店街への案内図を見てた時、不意に声がかけられた。


「山下さん、沙奈子ちゃん」


聞き覚えのあるその声に振り向いたら、そこにいたのは伊藤さんと山田さんだった。私服なのに僕にもすぐに分かった。もうすっかり二人の顔を覚えられたんだって実感した。


「今日はお出かけですか?」


小さく手を振りながら二人が僕たちの方に歩いてくる。すると沙奈子は、僕の影に隠れるように抱きついてきた。やっぱりまだ苦手なんだと思った。なのに、「沙奈子ちゃん、こんにちは」って二人が視線を合わすように身を屈めながらそう言ったら、


「こんにちは…」


って、決して大きな声じゃなかったけど、はっきりと二人にも聞こえる声で返事をしたのだった。僕は驚いて沙奈子を見て、伊藤さんと山田さんも両手で顔を覆った。見ると二人の目に涙が浮かんでた。山田さんなんて、完全に泣き始めてしまった。


「ありがとう…、ありがとう沙奈子ちゃん…、嬉しい……」


泣きじゃくる山田さんを伊藤さんが抱き締めてた。


小さな女の子を連れた男と、泣いてる二人の女性の組み合わせに、通り過ぎる人たちは何事かという感じで視線を向けてきた。だけど僕は何か悪いことをしてるわけじゃなかったからか、それがあまり気にならなかった。いつもなら、そんな風に他人に視線を向けられるのは苦痛に感じるはずなのに。だからわざと心を閉ざす感じで無視するようにしてたのに、今はそんなことしなくても平気だった。


しばらくして落ち着いた二人が、少し照れ臭そうに言った。


「ごめんなさい、みっともないところ見せちゃって」


でも、僕は二人の気持ちが分かる気がした。だって僕も、沙奈子のことになると自分でもびっくりするくらい涙もろくなるから、「ううん」と首を振って言ったんだ。


「二人がそれだけこの子のことを大事に思ってくれてるんだって感じられて、僕もすごく嬉しかった。ありがとう」


たぶん、沙奈子に関係することじゃなかったらこんなこと、決して言えなかったと思う。なのにこの時は当たり前みたいにすんなりとそう言えた。二人は何度も頷いてくれて、また涙を拭ってた。それからその場にしゃがみこんで、沙奈子の視線の高さに合わせて、彼女に話し掛けたのだった。


「ごめんね。びっくりしちゃったね。でも私たち、沙奈子ちゃんのことが好きだから。沙奈子ちゃんがこんにちはって言ってくれたのが、すごく嬉しかったの。ありがとう」


伊藤さんがそう言って、


「これからもよろしくね。沙奈子ちゃん」


まだ涙が完全には止まってない山田さんが、ハンカチで顔を覆いながらそう言った。


そんな二人にちょっと戸惑った感じだったけど、その時の沙奈子の表情が、それまでの怯えたような感じとはぜんぜん違ってたことに、僕も気付いたのだった。



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