百十 沙奈子編 「世界」
洋裁コーナーでの買い物を終えて会計を済ませ、沙奈子と僕は地下の食料品売り場に来ていた。来週分の沙奈子の夕食のお惣菜は今朝届いたけど、それ以外の牛乳とか卵とかプチトマトとか、あとは災害時の非常食になるような栄養補助食品の類を買い足すために来たのだった。
こっちの買い物はさっさと済ませ、家に帰る。まだ降り続いてる雨の中、ゆっくりと歩く。焦らない。無理をしない。信号が変わりそうだったら次まで待つ。自動車が近付いてくるなら止まるまで待つ。あのヒヤリで改めて学んだことだ。ほんの数分早く帰ったってそれが何になるんだ。こうやって二人で歩くっていう時間を楽しめばいいよな。
恐ろしい落とし穴は、いつ、どこに口を開けてるか分からない。そういうものに落ちないようにするためには、ゆっくりと落ち着いて危険がないかどうか確かめるのが大事なんだというのをすごく感じる。皆がそうできれば世界はずっと優しくなりそうな気がするのにできないっていうのが、すごく残念だと思う。
でも、どうしてできないんだろう。みんな幸せに生きていきたいはずなのに。そうしてそんなに急ぐんだろう。どうしてそんなに焦るんだろう。焦って力尽くで何とかしようとして、結局、自分だけじゃなくて周りの人まで苦しめて、何がしたいんだろう。沙奈子の後姿を見ながら、またそんなことを考えてしまう。
だけど、だったら自分たちだけでもそういう風に生きていけばいいよな。急がない、焦らない、無理をしない、乱暴なことをしようとしない。それで誰かより損をしても、得ができなくても、その代わりにこの穏やかで優しい今が手に入るなら、それ以外のものは手放したって惜しくない。そんな風に本気で思えた。
流行もいらない、遊興もいらない、沙奈子とのこの慎ましい生活が守れるだけのお金があって、沙奈子の笑顔さえ守れたら、他には何もいらない。それが僕の望みだ。その上で、もし、僕たちと同じ生き方をしたいっていう人がいるなら、そういう人達ともお互いに力を合わせて生きていこう。それでいいよなって今は思える。
まあそれは、僕がもともと、何も欲しくない何も必要ない死んでないからただ生きてるだけっていう生き方ができる人間だからそれでも平気なだけかもしれないけどさ。
ああそうか、こういうのって、<世捨て人>って言われる生き方なのかもね。親に捨てられた僕たちらしい生き方とも言えるかな。けど、それが誰かを傷付けたり苦しめたりするわけじゃないんなら、文句を言われる理由もないよなあ。
ただ、この生き方を貫こうと思うといろいろ大変なのも分かってる。僕が一人で生きてた時だって、いろんなことを言う人がいたし。僕はそういうのを徹底的にスルーすることで生きてきたわけで。それと同じことが、これからもきっとあるんだと思う。だからこれからは沙奈子の分も僕がそういうのを受け流して、乱されないようにならなくちゃいけないな。
こういう生き方って、実は決して楽じゃないんだよなあと、今までの自分を思い返してしみじみ思った。何故か放っておいてくれない人もいたりするからね。そういう人への対処法とかも、沙奈子に伝授しなきゃいけないかな。完全自己流だから彼女に合うかどうかは分からないけど。それをヒントにでもして、彼女なりの対処法を見つけてくれればそれでいいか。
なんてことを考えてるうちに、家に着いた。無事に帰り着けて良かった。たったそれだけのことでも幸せだって感じられる。それがいい。何しろこの世界は、決して優しくないから。優しくない世界だからこそ、ほんのちょっとしたことが幸せだって思えるっていう皮肉な面もあるんだろうな。
僕たちには世界の方を変える力なんてないから、だったら自分たちがこの世界の中でも幸せを感じられるように変わっていけばいい。そんなことも思ったりする。大変だけど、それでも世界の方を変えることを思えば決して不可能なことじゃない。そして自分が変われば、ちょっとだけ、自分から見える世界の様子も違って見える。この世界には敵しかいないわけじゃなくて、自分たちの味方になってくれる人もいる。
もちろん一方的に助けてもらうだけじゃダメだけど、自分を助けてくれた人を助けるのは辛いことじゃないよな。死んでないだけで生きてるとも言いにくかった僕を助けてくれた沙奈子を助けることが辛くはないのと同じでさ。それに気付くまでがすごく大変だったけどね。ただそれも、児童相談所の塚崎さんを始め、いろんな人が助けてくれたからだっていうのも今なら分かる。
山仁さんや、伊藤さんと山田さんはもちろん、沙奈子の担任の水谷先生だって、名前も知らないけど沙奈子が石生蔵さんとトラブルになってた時につきっきりで指導してくれた学年主任の先生や教頭先生や、そういう指示を出してくれた校長先生だってそうだ。
ああそう言えば、何だかんだと文句を言いながらでも沙奈子の歯医者通いの為に残業しないのを認めてくれた僕の上司だって、結果的には助けてくれたことになるよな。そう思えば、あの人のことは好きにはなれないけど、恨んだりもしなくて済んでる。それだけで十分だ。沙奈子の虫歯を丁寧に治療してくれた歯科医の先生も助けてくれたって言えるかもしれない。
なんだ。こう考えてみれば、僕たちは本当にいろんな人に助けられてきたんだなあ。世界は決して優しくなくても、思った以上に助けられてきてるじゃないか。不思議だよな。
世界って、こうやって成り立ってるんだろうなあ。
夕食の用意を始める時間まで、借りてきた本を読んでる沙奈子と一緒に寛ぎながら、僕はずっとそんなことを考えてた。こうやって自分の思考に集中できるのは、雨音のおかげかもしれないな何てことも考えつつ。
夕食の用意を始める時間になって、今日はシュウマイを作った。と言っても、いつもの餃子と同じで蒸し焼きにするだけのやつだけどさ。餃子と違って焼き色を付ける必要はないから、蒸し上がったと思えばそこでOK。味噌汁も作って後はやっぱりプチトマトと煮干しとを添える。我ながら無茶苦茶な取り合わせだと思いながらも、沙奈子も喜んで食べてくれるから問題ないし。
夕食の後は一緒にお風呂。もうすっかり僕も慣れて照れとか全然なくなってた。それでもあんまり触るのとかは控えめに。女の子なんだからいずれそういうことに目覚めた時に、『叔父さんにお風呂で体を洗ってもらってたとか、黒歴史だ~』なんてことにならないようにね。
とか言いつつ、一緒に湯船に入ってるのは、いずれ十分に黒歴史になる可能性があるのかな。だとしたら申し訳ないな。でもその辺りは沙奈子が望んだことだからなあ。なんてのも結局は言い訳かもしれないけどさ。とか、僕は思っていたりしたのだった。




