百五 沙奈子編 「本音」
そう言った山田さんに対して、伊藤さんが納得できないって感じで反応した。
「だけどそれって、誰にでもあることじゃないの?。そんなのいちいち気にしてたら誰も信用できないと思うけどなあ」
その伊藤さんの言葉も、確かにそうだって感じた。気にし過ぎだっていうものその通りだと思う。ただ…。
「そうだね。そうかも知れない。そういうことをいちいち気にする僕は、誰のことも心の奥底では信じてないんだ。たぶん、沙奈子のことも信じ切れてないんだと思う。だから、自分に言い聞かせてるんだ。『演技だっていいじゃないか。沙奈子がそう言ってくれてるんだから』ってね」
そういうことだった。人間同士の関係って綺麗事だけじゃないんだってことを、僕は自分で言葉にしてみて改めて感じていた。沙奈子に対して『愛してる』と言った気持ちは嘘じゃない。だけど、100%完璧に信じられるかって言われたら頷けない。それもまた事実なんだ。
「……」
「……」
伊藤さんも山田さんも、言葉もなく僕を見詰めてた。僕は続けた。
「それに沙奈子は、今までずっと大人に裏切られ続けてきたんだよ。だからあの子はどんなに僕を信じたくても、心のどこかではいつだって不安なんだと思う。いつか捨てられるんじゃないかっていう不安をずっと抱えてるんだと思う。そのせいで、二人へのプレゼントを買うっていうだけでその不安が爆発してしまったんじゃないかな。沙奈子自身が、僕のことを完全には信じ切れてないんだよ」
僕は二人にどう思われても仕方ないという覚悟で、今、僕が感じてる正直な本音を語った。
「けど、僕はそれを悪いことだとは思いたくない。それにあの子はきっと、他の人に比べたら僕のことを信頼してくれてるんだと思う。だからこそ最近は自分の気持ちも表すようになってくれたんだと思う。けれど、その信頼をさらに深くまで突き詰めていこうとしたら、やっぱりどこか信じ切れないっていうのもあったんだと思うんだ。『捨てないで』って言われたことで、僕はそれを確信した気がする。僕たちは、お互いを信じたいのに、心の奥の深いところでは信じ切れてないんだ」
僕の言葉は止まらない。本音を語りきるまで止まれないと思った。
「だけどそれは、僕と沙奈子が別の人間である限りは仕方ないことだとも思ってる。僕は沙奈子にとっての完璧な人間にはなれないし、沙奈子だって僕にとっての完璧な人間になれるわけじゃない。人間ってそうなんじゃないかなって、最近は思うんだ」
それは、僕の人間観とも言うべきものだと思う。他人がどう思ってるかじゃなくて、僕が人間というものをどう見てるかっていう話だった。
「どんな些細なことでもすべての場合で絶対に相手の信頼を裏切らない完璧な人間なんて、いないよね。みんなどこかズレてたり合わない部分があったり不満を抱えた上で付き合いを続けてるんじゃないのかな。それが『裏切られた』とか『そんな人だとは思わなかった』っていう言葉になるんじゃないかな。でも、もしそういう部分を見せ付けられたとしても、僕は沙奈子のことを受け止めてあげられる僕でいたいと思ってるんだ」
綺麗事を語りたがる他人が僕たちのことをどう見るかは知らない。僕の沙奈子への気持ちを無償の愛とか言ってくれるかもしれない。でもその言葉は、僕にとっては何か違うっていう感じしかしなかった。僕の沙奈子への気持ちは、決して無償なんかじゃない。あの子のことを大切にしたいって思うこの気持ちは、いわば僕の欲求だ。沙奈子と一緒にいられること。沙奈子の笑顔を身近で見られること。それこそが僕が求める褒賞なんだと思う。それがあるから、信じ切れなくても一緒にいられるんだ。そしてたぶん、沙奈子もそれは同じだと思う。
こんなことを語ったら、普通はドン引きだよな。こんな話、今まで誰とも話した覚えがなかった。『信じ切れない』なんて話したら、『それはおかしい』って頭ごなしに否定する人がほとんどだと思う。でも本当に誰とでも心の底から信じ合えるんだったら、人間関係はこんなに難しくないはずなんだ。少なくとも僕にとってはそうなんだ。それを否定するんなら勝手にしてくれたらいい。心から信じ合えるのが当たり前だって思う人はそう思っててくれていい。けれどそうじゃない人間だっているんだよ。誰にも認めてもらえなくても、それが僕にとっては現実なんだから。
これでもう、伊藤さんと山田さんに気持ち悪がられても引かれても仕方ないと僕は思った。これが今の正直な僕なんだから、それが合わないって言われるんなら仕方ないって思った。
それと同時に、伊藤さんと山田さん以外の人には、こんな話は最初からできなかったと思うけど。この二人が相手だからここまで正直になれたっていうのは、間違いなくあった。言葉を途切れさせて、僕は二人を見た。どう言われてもそれを受け止めようと思って、二人の反応を待った。
なのに二人から返ってきたのは……。
「そんなことぶっちゃけられたら、ますます惚れちゃうじゃないですか~」
…え……?
二人が声を揃えて僕に迫ってきた。気持ち悪いものを見るような目を向けられることさえ覚悟したのに、伊藤さんも山田さんも、すごくキラキラした目を僕に向けてきた。それに狼狽える僕の様子がおかしかったのか、二人が急にクスクスと笑いだし、椅子に座り直して言った。
「大丈夫です」
「冗談ですよ」
『冗談ですよ』。その言葉に、僕は逆に胸をなでおろしていた。不思議と茶化されたとか馬鹿にされたとかっていう感じは全然しなかった。それどころか、そんな風に軽口で返せるくらいに当たり前のことだって言ってもらえた気さえした。
「それ、私たちも同じこと感じてたんですよ」
伊藤さんが言った。
「私は人を信じたいっていう気持ちが強いけど、でもそれって、本当は信じられないっていうのを感じてるから信じたいって願うんだっていうの、私も分かってたんです。それを分かってくれたのが、絵里奈と香保理だったんですよ」
その言葉を受けて、山田さんも言う。
「私は元々、人を信じ切れないってことをずっと感じてて、『信じられなくてもいいじゃない』って言ってくれたのが香保理と、前に話した私の叔父さんだけだったんです。叔父さんに対しては歳も離れてて遠慮もやっぱりあったけど、香保理と一緒にいる時だけはすごく自分らしくいられるって思って、この会社に入って玲那とも出会って、私と同じように思ってる人が他にもいるんだって安心できたんですよね」
そして二人は顔を合わせて、改めて僕を見た。
「だけど、惚れちゃうっていうのは、半分は本気ですよ」
伊藤さんがそう言うと、
「そうです、半分は本気です」
と、山田さんも続けた。
『惚れちゃう』なんて女性に言われたのも初めてで戸惑ってしまったのも事実だけど、それがぜんぜん嫌な気分じゃなかったのは、相手がこの二人だったからっていうのは、僕も確かに思ったのだった。




