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僕に突然扶養家族ができた訳  作者: 太凡洋人
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百三 沙奈子編 「忌夢」

しかし、もしあの時事故になってたらこれを見られなかったんだよな。だとしたら本当に運が良かった。間違いなく次はない気がする。これからは用心しなくちゃとつくづく思った。


時間は10時を少し回ってしまったけど、いやいや、いいものを見たって感じだ。明日は金曜日だし、少しくらいなら大丈夫じゃないかな。


布団を敷いて二人で一緒に寝る。おやすみなさいのキスとお返しのキスを交わして、沙奈子は僕の腕枕で胸に顔をうずめて目を瞑った。でもその時、


「お父さんの匂いがする…」


って言われた。僕はちょっと慌てて、


「え、もしかして臭い?」


と聞いてしまった。だけど彼女は顔をうずめたままで首を振った。


「ううん。気持ちいい匂い」


気持ちいい匂いって何だろうって思ってしまった。ただ、嫌な臭いとかじゃないというのだけは理解できた気がした。


「お父さん…」


また彼女が言った。


「ん…?」


短く僕が応えると、思ってもみなかった言葉が僕の耳に届いてきたんだ。


「大好き…」


…え?。


僕の胸に顔をうずめたままで、呟くようにそう言ってくれた沙奈子に、僕は胸が詰まるような気がした。


『大好き』


その言葉をこんなに素直に嬉しいと思えるなんて、今までなかった。言ってもらったこともない気がするし、もし言ってもらったことがあったとしても素直に信じてなかったと思う。それなのに沙奈子がそう言うと、何の疑いもなく僕の中に届いた気がする。


僕は、彼女を抱き締めた。抱き締めたままで応えた。


「ありがとう。僕も大好きだよ。沙奈子…」


そして彼女は、顔をうずめたままで頷いてくれたのだった。


改めて思う。本当に無事に帰ってこられてよかった。あの時、事故になってたら沙奈子のこの言葉も聞くことができなかったんだと考えると、すごく怖かった。もう二度とあんな無理はしないと思った。だけど今はそう思っててもきっとすぐに忘れるだろうから、交差点とか見る度に自分に言い聞かせないとなって思ったりもしながら、僕は眠りについていったのだった。




朝方、僕は不意に目が覚めるのを感じた。それで何となく目を開けると、でもそこは見慣れない部屋だった。しかも僕は目が覚めたばかりのはずなのにその部屋の中で立っていた。ものすごい違和感だった。飾り気のない白っぽいシンプルな部屋で、小さな机と、小さなソファーと、ベッドだけが置かれた部屋だった。


僕はその部屋は見たことなかったけど、何となく思い当たるものは感じた。病院だ。多分ここ、病院の個室だ。だけどなんで僕はこんなところにいるんだろう。こんな時間に。


見れば、ベッドに誰かが寝かされていた。ピ、ピ、と音を立ててるのは、心臓のモニターとかかな。誰だろうと思って覗き込んでみても、何だかよく分からない管みたいなものがいっぱい繋がれて、しかも顔は包帯でぐるぐる巻きになってて、誰かはまったく分からなかった。


こんな時間に誰かも分からない人の病室に入り込んでるなんて、僕はいったい何をしてるんだろう。どうしてこんなところにいるんだろう。思い出そうとしても、全然思い出せない。僕はいつも通り、沙奈子と一緒に寝ただけだ。それで目が覚めたらこんなところにいたんだ。意味が分からない。何が起こってるんだろう。


そんなことを思った瞬間、パッと画面が切り替わるみたいに窓の外がはっきりと明るくなって、完全に朝になったって感じになった。なぜかは分からないけど、たぶん9時くらいの感じだって分かった。


僕が戸惑ってると誰かがドアをノックした。マズい、こんなところに勝手に入り込んでるのを見られたら、下手したら不法侵入で警察沙汰だ。って焦ってる間にドアが開けられた。


それは、若い女性だった。二十歳前後くらいかな。さらりとした胸までの黒髪が印象的な落ち着いた感じの女性だった。


あれ、この人、何処かで見たことがある。そう思うのに、どこで見たのかが思い出せない。知ってる人のような気がするのに、名前が出てこない。だけどもっと不思議なことがあった。その女性は確かに僕のことを見たはずなのに、見えてるはずなのに、何も言わなかったんだ。それどころか気付いてもないみたいに僕を無視して病室に入ってきて、ベッドの脇に立った。


「お父さん、おはよう。今日もいい天気だよ」


その声を聴いた時、いや、その女性が口にした『お父さん』という言葉のイントネーションを聞いた時、僕の頭に何かが走り抜けた。そして気付いてしまった。分かってしまった。この女性は…、この子は……。


「沙奈子…?」


間違いなかった。間違えるはずがなかった。声は大人の女性になってるけど、姿もすっかり大人の女性だけど、確かに沙奈子のそれだった。


僕はパニックになっていた。頭の中でよく分からないものがぐるぐると回って、何も考えられなかった。わけが分からないままにベッドに近付いて、もう一度よく見た。すると、ベッドの枕元の少し上、壁のところに名札がかかっているのに気が付いた。そこに書かれていた名前を、ほとんど無意識に読み上げていた。


山下達やましたいたる…」


それは紛れもない、僕自身の名前なのだった。




「う…、わ…ぁ…!?」


叫び声を上げそうになって、僕はハッと目が覚めた。見ればそこは見慣れた僕の部屋だった。横を見ると沙奈子が静かに寝息を立てていた。窓の外は明るくなっては来てるものの、まだ完全に夜が明けてないのが分かった。


「…夢……?」


そう呟くと、自分がすごい汗をかいてるのに気が付いた。でも、その時の僕はそれどころじゃなかった。


夢…?。夢なのか…?。どっちが?。あっちか?。それともこっちが夢なのか?。頭が混乱して、自分でも何を考えてるのかよく分からなかった。


しばらくしてようやく落ち着いてくると、汗だくなのがやっと気になってきた。時計を見ると5時を過ぎたところだった。沙奈子を起こさないようにそっと布団から出て服を着替えた。服を脱ぐと汗をかいた体がすごく寒く感じたから、こっちが現実なんだと思えてきた。


顔も洗って少しさっぱりはしたけど、さすがにまた寝る気にはなれなかった。座椅子に座って夢の内容を思い出す。


そうだ。あっちが夢だ。それは間違いない。沙奈子が大人になるまでベッドで寝てるのにまだ包帯ぐるぐる巻きとか、漫画じゃないんだからそんなことはありえない。場面だって急に展開した。典型的な夢っぽいデタラメさだ。それが分かってても嫌な夢だった。


確かに、不安はある。本当の僕はあの時自動車に撥ねられて意識不明のままで病院で寝てて、こっちこそが僕が見てる夢なんじゃないかって思ったりしないことはない。でも分かる。こっちは現実だ。夢にありがちな不自然な部分は何もない。そう思うのに、どうしても不安が消えてくれない。


まさか事故に遭いそうになっただけで自分がこんなに精神的にガタガタになるとは、さすがに思っていなかったのだった。



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