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異世界へ出立、その前日

 

 服はすりきれ、体も傷だらけだ。

 司は、訓練場の看護室のベッドで横になっていた。

 手の甲を額に押し当てて、痛みをため息と共に吐き出している。

 (また負けた……)

 結局教官には勝てないまま、故郷を去ることになりそうだ。


 司が落ち込んでいると、ガチャリと扉を開けて教官が入ってきた。

 眼鏡の黒髪の教官。どこにでもいそうな容貌の中年だが、これでも異世界帰りだ。

 そもそもこの国で30歳以上の男女は、ほぼすべて異世界帰りで恐ろしいほどの実力を持っている。


 司は体を起こしてベッドに腰かけた。

 そのまま腹にくらった打撲の痛みを堪えながら、立ち上がって教官に頭を下げた。  


「……今までお世話になりました」

「こらこら、まだお別れじゃないだろう? それとも訓練の反省会したくないほどふてくされてんのかい?」


 司はぐっと、言葉に詰まった。図星だったからだ。


「明日で君は異世界に行くわけなんだから、せめてもうちょっと話そうよ」


 ねっ!と教官は明るく小首をかしげたが、司は煩わしそうに顔を引いた。

 わかっていたとは言え、一度も勝てないまま異世界に行くのは悔しかった。


 この世界の人間は、30歳まで生きられない。

 30歳以後の寿命は、異世界のもう一人の自分――《片割れ》と逢うことで初めて生じる。

 だから、15歳で異世界に旅立ち、30歳までに異世界の片割れを見つけ出すのが慣例となっていた。

 無論、30歳になっても片割れが見つからなかった場合も多く、その時はほろほろと体がほどけてしまう。

 死体は残らない。

 寿命を得て人間になるまで、この身体は神さまの様に脆かった。

 事実、神話の時代までさかのぼるなら、司たちは、命を糸で紡ぐ神の子孫らしい。

 だから、糸を使って魔法陣を張り、布を刃と化して戦うことができた。


 無論、戦う術は訓練でしか得られない。

 どんな異世界にたどり着いても、無事に寿命を得て生き延びれるように。

 そんな願いを込められて、子供たちは訓練校に放り込まれ、旅立ちの日までサバイバルの訓練に明け暮れてきたのだ。


 その日々も今日で終わる。

 高村司たかむらつかさは、15歳の誕生日を迎え、明日異世界に旅立つ事になった。

 結局、教官に一矢も報いられないまま……。


 司のふてくされた態度に教官は頬を掻くと、司を無理やり引っ張ってベッドに座らせた。

「ちょ、教官!?」

「まあまあ、身体もきついだろうし座って話そう」


 強制的に座らせられたせいで、司の肩が跳ねた。

 腹に負った傷に響いたらしい。

 昔から、この教官は本当に強引だった。


「さて、どうしたんだ、司? 旅立ちが不安なのか?」


 にっこりと、父親のような顔をして教官は司の顔を覗き込んだ。

 司は、引きつった顔で視線を逸らした。

 教官は、司が不安のせいで不機嫌になっていると勘違いしているらしい。


(言えるわけないだろ、負けて悔しいって……)


 司は自分の稚気を自覚していたので、正直に負けた悔しさを口に出すのが憚られた。

 だから、代わりに教官の勘違いに乗ることにした。


「俺は、明日どこに飛ばされるのかと不安になりましてね……」

「あぁ、なるほど。そりゃあ不安だね」


 得心顔で頷く教官をよそに、司は乾いた笑みを浮かべた。もうどうにでもなれだ。

「勘ですが、とんでもない所に飛ばされそうな気がするんですよ。地獄か、もしかするとそれ以上の酷い所に」


 異世界は、崩れかけたゲートを潜ればすぐにたどり着く。

 どういう仕組みかは、知らない。ただ、必ずもう一人の自分がいる世界に送ってくれる。

 数百にも及ぶ、それぞれ異なった世界を見分けて的確に送ってくれるのだから、大したオーパーツだ。

 これも神話時代の遺物だった。

 問題は、頻繁に行き来が出来ないこと。

 究極的には、一度向こうにたどり着くと、次にこの世界に帰れるチャンスはもう一人の自分に会った後しかない。

 旅に疲れても、故郷には帰れないのだ。


 それを知っているからか、教官はとても優しい顔で司を慰めた。


「まぁ、どこに着くかは運次第だけど、……大丈夫だよ。どの世界にも先人たちが作った大使館があるから。ましてや、私たち《命糸の民》を知らない世界なんかない。どの世界でも歓迎してもらえるよ」


 《命糸の民》というのは、この国の人たちが自らを誇りにかけて呼ぶ名だ。

 祖先とされる神が、糸の長さで寿命を決めたという話になぞらえている。

 実際、《命糸の民》が片割れに命を運ばない限り、どちらも命が潰える。

 片割れがこちらに来られない以上、《命糸の民》が向こうに寿命を運ぶしかない。


 もう一人の自分――片割れ(かたわれ)、つい、魂の双子。

 言い方は色々だが、異世界では《命糸の民》は、片割れの影として知られている。

 いわば、《寿命を運ぶ者たち》として異世界では好意的に見られているのだった。


 そのためどの異世界でも、受け入れ態勢を十全にし、受け入れ態勢を整えている。

 更に、寿命を得て向こうに定住した《命糸の民》もサポートしてくれる。


 不安はないはず……だった。


「それでも、肝心の片割れが誰かって問題があるでしょ? 世界中から憎まれている奴かもしれない。それとも戦地で戦争に明け暮れている奴かもしれない。こちらを殺そうとするイカレかもしれない」


「……まぁ、それも運だね」


 おや、と司は驚いた。

 教官が目に見えて沈んでいたからだ。さっきのように大丈夫だと即答もしない。

 司はしばらく教官をじっと見て、ようやく気付いた。


(そうだ、教官は片割れと殺し合って、命からがらこちらに帰還したんだった……)


 自分の失態に司は顔を蒼くした。

 教官はそのことを、一度酒に酔った時にぽつりと口にしただけだったので、司はすっかり忘れていたのだった。


 いきさつはあまり話してくれなかった。

 完全に破綻するまでは仲が良く、一軍を率いる彼(片割れは男だったらしい)の軍師となって、共に戦場を駆けたらしい。

 それが、他国の内通者に嵌められて、教官に不信感を覚えた片割れが処刑を命じて……。

 最後には国を二分する戦争になったらしい。

 教官は自分のせいで異世界の人間が死ぬのを恐れ、自分の死を工作して帰って来た。

 向こうで死ねなかったのは、自分が死んだら片割れの寿命も道連れにしてしまうからだ、と教官は語った。

 それは確証が得られていない事実でもある。

 寿命の交感をした後、《命糸の民》が死んだ場合、片割れの寿命はどうなるのか。

 縮むという説もあるし、変わらないという説もある。

 ただ、教官の行動は片割れを想った上でのものだった。


 (殺されかけても憎んでいなかったのに、俺、酷いことを……)


「教官すみません、俺……」

 しどろもどろに司は謝罪しようとしたが、教官は小さく笑って気にするなと手を振った。


「まぁ、片割れが誰かは、確かに運で決まるかもしれない。ただ、それは些細なことだ。

 大事なのは、自分を信じること、後悔しないことだよ」


「自分を信じる ……あと、後悔しないこと?」


「そう、我々《命糸の民》は片割れの影だからこそ、片割れと同じ魂を持っている。君自身の心根が正しければ、君の片割れも正しい心根の持ち主だ。だから、君は自分を信じなさい。君の生き方に誇りがあれば、君は自分の片割れに誇りをもてるだろう」


「教官……」


「後悔しないのも同じことだ。君自身の生き方に誇りがあれば、進む道は自ずと決まる。自らの道を振り返らずに進んだ先に、答えがある。君の片割れは、必ずそこにいる。迷わず進みなさい」


 そう言って、教官は司の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

 まるで成長をしているわが子を愛おしむような、優しい手だった。


「俺、向こうに行ったら、もう帰って来られないかもしれない。片割れを見つけても、帰って来ないかもしれないし、あるいは見つけ出せずに死んでしまうかもしれない」


 教官に撫でられながら、ポツリと司は呟いた。

 教官はうん、と優しく先をうながした。


「教官には迷惑かけてばかりの訓練生時代だったけど、教官に教えてもらった事には本当に感謝している。

 だから、俺は、教官に教えてもらった教えを大事にして、何とか生きる。

 そして、どんな生き方をしても、どんな死に方をしても、……最後には先生と自分に恥じない人生だったと誇りたい」


 いつの間にか教官の、司を撫でる手が止まっていた。

 どうしたのかと、司が教官を見上げると、ぎゅうっと抱きしめられた。


「う、教官、どうし……?」


「あー、ちょっと涙腺が。歳のせいかな……?」


 少し掠れた涙声だった。

 十年は一緒に訓練した。教官と司は親子とも言える間柄だった。


 (歳のせいじゃないだろ? ……俺はまだ若いのに一緒に涙腺がいかれてるんだから。だからまぁ、これは、しょうがない……よな?)


 司は、ぎゅうっと教官の肩に顔を埋めた。

 二人して涙腺が故障したんだから、しょうがない。


 それから、しばらく教官と司はじっとお互いを抱きしめ合っていた。



 司が異世界に旅立つ、前日の夜だった。


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