第二話
「社君!社君!!」
悲痛な灯の声が響き渡る。ちょっとした冗談のつもりが思った以上に効果抜群となってしまったようだ。というかこのまま行くと、ちょっとした冗談ではすまなくなる…。
「はっはぁ!!ひっかかったな、バカめ!!」
俺はそう言うと同時に勢いよく起き上がり、灯にデコピンをくらわせてやる。
突然の事態の変化に灯はついてこれてないようで、随分アホな表情をしている。
「はっはっはっは。こんな簡単な手にひっかかるとはお前もまだまだだなあ、灯!」
はっはっは、となんとなくアメリカンな感じで灯の肩を大きくたたく俺。
…おや、心なしか灯が震えているように思えるが…まあ気のせいだろう。
「こ、このお…」
まあ気のせいなわけがなく。大変ご立腹な様子の灯さん。ちなみに彼女、なんだか物凄い勢いで息を吸いこみ始めた。…まずい、どぎつい反撃が来る…。
「ば、」
「すみませんでしたあああああああああああああああ!!」
俺は一瞬でプライドを捨てた。全力で頭を地につけ、全力で日本人伝統の整った姿勢をとり、全力で平に土下座をする。ここまで全力で謝罪をする必要など、普通はないのだが…彼女の叫びを食らったが最後。生きている保障もなにもないのだから、こうするしかない。
「…社君。これだけは言わせてね」
「…はい」
そういえば昔、謝るだけで済むなら警察なんていらないんだヨ!とかいうとんでも屁理屈を聞いたことがある。…そうだよな。謝るだけで済むなら世の中もっと平和だよな。俺…これから頑張ってそんな平和な世の中を作っていくよ…。
「ばかあああああああああああああああああああ!!」
曰く、その叫びはどこまでもどこまでも響き渡ったという。少女の怒涛の叫び声はあるものに恐怖を与え、またあるものに絶望を、またあるものには破滅を与えた。誰もがその叫びに涙した。しかし、その涙は恐怖からくるだけのものだけではなかったようだ。あるものにとっては、彼女の叫びは自分を奮い立たせてくれる救いの声に聞こえたと言う。随分と皮肉な話だ。その叫びに込められた思いは「怒り」以外の何物でもなかったというのに。
きーんこーんかーんこーん。
代り映えのないありきたりなチャイムの音が木霊する。
俺はなんやかんやで死線をくぐりまくった険しい朝を乗り越え、今ようやく学校までたどり着くことが出来た。長く、そして苦しい旅路だった。だが最後にはここまで来ることが出来た。…俺は自分で自分に拍手を送る。…よく頑張ったよ、俺…。
「で、なにを感極まっているのさ」
「か、悲しくなんてないやい!この旅は俺をまた一つ強くしてくれたんだからな…」
空を見上げようとしたが、やめた。あんな空を見ても空しくなるだけだ。だが、それでも、一度上を見上げようとした首をそんな瞬時に止めることが出来るはずはなく。必然的に俺は学校の門のところに咲いている大きな桜の木の全貌を眺めてしまう。樹齢千年を超えるというその巨大な桜の木は薄桃色のきれいな花びらに覆われていた。木が美人対決をしだしたら、まず間違いなく上位に入ってくるであろうその鮮やかな出で立ちに、俺は心を奪われそうになる。だが、そんな感情はすぐに冷める。所詮はこの鮮やかさはまがいもの。もちろん桜の木も、花もまごうことなき本物だ。だが、俺の目にはどうしても偽物としか映らない。これは単なる俺の我儘に過ぎないのだろうが。
「サクラ…見事に満開だね、社君」
「…ああ、でも…」
「うん。どこか違うんだよね」
「そして、どこか――」
ひどく悲しい。
太陽が消え去った世界。そこは全てを「闇」に支配された深淵の世界だった。
「光」などというものは欠片も存在することは許されない。
ヒトは、生命は、全てを絶望に飲み込まれ、尽き果てる運命にあった。
だが、しかし。そこに一筋の新たな「光」が生まれたのだ。
陽術。ある少女がもたらしたその「光」はそう名付けられていた。
それはまさしく魔法だった。奇跡という名の起こりうるはずのない夢。
だが、確かにそれはこの世界で輝きを放っていた。
小難しい理論も、理屈も、存在しない。必要なのは祈り。「光」を、かつての「太陽」のその煌きを求める純粋な心。ただそれだけのもので、この世界に再び光がさした。
陽術はヒトに、生命に、再び生きる道を与えてくれた。
暗く閉ざされた世界にあっても人々の祈りは届いた。信じるものは救われるとはよく言ったものだ。人々の信じる心、ひとえにそれが「光」をつかみ取ることを可能にしたのだから。
古今東西において人知を超えるものは信仰の対象になる。科学技術だなんだと世界の最先端へと進歩してきた人々だったが、もしかしたらまだ中身は原始人とそう変わりはないのかもしれない。
陽術をもたらした少女はいつからか「第二の太陽」などと呼ばれ、崇められることとなった。見た目も雰囲気も、俺や灯のような普通の高校生と変わらないというのに…彼女は神となった。
しかし何よりも驚愕するのは彼女のその在り方だ。
神扱いされてなお、彼女は決して傲慢にならなかった。富を求める訳でもなく、名誉を気に掛ける様子もなく、誰にでも平等に「光」を与え続ける。
そんな彼女のおかげで陽術はもはや俺たちの生活において当たり前の存在となった。今では陽術のない生活など考えることが出来ない。今のこの世界で生命を支えてくれているのは陽術の光だ。もしも陽術がなくなったら、俺たちはまたもどん底のどん底、絶望の果ての世界に逆戻りしてしまうだろう。
祈りを忘れなければ陽術の光は照り続ける。
今度こそ俺たちは、俺たちを支える「光」の存在を忘れてはならないのだ。
だが、俺から言わせれば随分とちゃんちゃらおかしい話だ。「光」の存在を忘れてはならないと言っておきながら誰もがすでに「太陽」の存在を忘れ始めているではないか。
陽術の輝きにより、人々の目はくらんでしまっている。
いまだこの空は晴れ渡ることなく、一切の「光」が差すことはなく、ただただ「闇」にとらわれているというのに。