中編
少し歩き、細い路地に入った。曲がりくねったその道をしばらく進むと、唐突に視界が開けて、そこには一本の大きな木と古ぼけた井戸があった。シュンは、日に照らされる井戸の縁に浅く腰掛けた。神楽は一応、井戸の中を覗き込んでみたが、中は空洞で水の気配など欠片もない。まぁわかってたけどねと呟きながら、木陰に腰を下ろし木に背を預ける。
「・・・・・・で、雨乞いの話だったな。」
「うんうんそうそう。」
「少し長くなるからな。」
「えぇ?長いの?短めで頼むよー。」
「・・・普通そこにケチつけるか?自分から聞きたがったくせに。」
「あははー、長い話は苦手なのさっ。最初の方を忘れちゃう。」
「はぁ?」
シュンは呆れて眉をひそめた。馬鹿かお前、とは言わずにいたが、そう思った。
「・・・・・・まぁいいや。なら、何が知りたいんだ?」
「儀式について。」
「ざっくりしすぎだろ。」
あっけらかんとした神楽にツッコミを入れて、そうしてから語りは始まった。
*
今まで、シィバラ教の雨乞いの儀式ってのは、司祭を中心に皆で祈り、葡萄酒と半分の鏡と香を捧げるものだったんだ。
ところが、三年前だったかな・・・・・・・・・いつも通り、皆で祈ったのにも関わらず、雨がまったく降らなかったんだ。そこで、司祭から通達がきた。"雨を降らすために、生け贄が必要だ"と。条件は、集落の中で最も美しい処女であること。それで、俺の妹が選ばれたんだ。
生け贄っつっても、死ぬことはないって話だったからな。妹は喜んで行ったし、俺達も喜んで送り出した。
妹が首都へ旅立って、三日後くらいかな。雨が降り始めたのは。久々の雨で皆喜んだし、俺達も鼻高々だったよ。妹のおかげで、集落全員が救われたんだからな。
――――それから、さらに二日後。雨はまだ降り続いていて、妹はまだ帰ってきてなかった。
突然、両親が倒れたんだ。その頃、集落では疫病が流行っていて、既に死人が多数出ていた。薬は無い。原因も解らない。解っているのは、空気感染することと、死んだあとの患者からは移らないことだけ。発病すると、病人は一ヶ所に集められ隔離される。俺も、既に感染してると見なされて、一緒に隔離された。・・・・・・・・・・・・けど、何故か俺は発病しなかった。
時々、いるらしいんだ。生まれつき抵抗を持ってる奴が。まさか、俺がそうだとは思わなかったけど。
とにかく、そんなわけで、俺は病人たちと同じ場所にいながら、病気にはならず、・・・両親が苦しみながら弱っていく様を・・・じっと・・・見てるしかなかったんだ。妹のことも、何の連絡も無くて、すごく気掛かりだった。今でも覚えてるな。すげー暑かった。咳と呻き声しかない部屋ん中で、窓の外の雨を見ながら、明日のことを考える。明日になったら父さんも母さんも元気になっていて、妹も帰ってきて、また昔と同じように・・・・・・・・・昔、っつっても、たった一週間前のことだぜ?前と同じように、暮らせるんじゃないかってな。どうかそうなって下さい、って、ずっと神に祈ってたよ。
考えて祈って考えて祈って疲れきって、汗だくのまま眠るんだ。それから目を覚ますと、また、咳と呻き声しか聞こえない部屋ん中で、父さんも母さんも変わらず、そこに横たわっている。あの頃ほど、朝が来るのを嫌った時はないな。
・・・・・・・・・あぁ、悪ぃ。無駄な話だった。
雨が止んだのは、降り始めてから六日後の朝だった。晴れるのとほぼ同時に、全員の咳が止み始めた。
治ったんじゃない。力尽きて死んでいくんだ。父さんも母さんも、同じように死んでいったよ。俺の目の前で。一言も残せずに。
・・・・・・遺体は、砂漠に安置される。最もシィヴェインに近い場所だとされているし、置いとけば獣が勝手に処理してくれる。俺もそれを手伝ったよ。その時はまだ、シィヴェインのことを信じていて、"両親をよろしくお願いします。"って精一杯祈ってきた。
信じられなくなったのは、埋葬から帰ってきた直後のことだった。家に手紙が届いていて、中には妹のイヤリングが片方、入っていた。首都の協会からの手紙だった。手紙には、こう、書かれていた。
"神は、貴方の妹君スタッヅ・リリアラ様の全てを欲されました。リリアラ様は、シィヴェイン様に捧げられ、尊き神の御体の一部となられたのです。そのことを誇りに思いなさい。"
たった三行。それだけだった。俺に残された唯一の家族が、だ。たった三行で、死んだんだ。
俺はそんなの信じられなくて、何が起きたのか知りたくて、首都へ行って探り回ったんだ。その結果、妹は司祭に殺されたってことがわかった。殺されて、血抜きされ、死肉の状態でシィヴェインに捧げられたんだ。雨は、それを犠牲に降っていたんだ。
それ以来、雨乞いの儀式はそうやって行われている。聖書も、新しいものが配られた。・・・・・・・・・今の雨乞いで降るのは、血の雨だ。
俺はもう、シィヴェインを信じないよ。祈れば信じれば救われるって言っときながら、他人から家族を奪うようなやつ、そんな詐欺師、信じられるはずがない。
*
それから、シュンは押し黙った。乾いた風が木の葉を微かに揺らし、重くなった空気を掻き回す。シュンも神楽も、お互いまったく別の方向を見ていた。神楽は何か難しい顔をして考え込んでいるようだったが、シュンには見えてなく、また、シュンは昔を思い返して悲しいようなやりきれないような顔をしていたが、神楽には見えていなかった。
唐突に神楽が口を開いた。
「・・・・・・文字通り、生け贄だった、ってわけだね。」
「あぁ、そういうことだな。」「三年前、司祭が変わった、とか、そういう噂は?」
「・・・・・・どうだったかな。知らねぇ。」
「じゃあ、三年前から変わったことは?儀式以外で。」
神楽の矢継ぎ早の質問に、シュンはたじろぎながらも、そのどこか鬼気迫る雰囲気に押されて、わけもわからぬままに答えた。
「いや・・・・・・・・・そうだな、変わったこと・・・――――――そういえば、砂漠の獣が増えたような気がするな。しかも、なんか気が立ってるというか・・・。死肉しか食べないはずなのに、一回襲われたことがあったっけ。」
「ふんふん。他には?」
「他に・・・・・・。曇りの日が多くなったような・・・・・・たぶん。あと、疫病が増えたかな。特に、雨の日に死ぬ奴が多くてな。去年の今頃に、集落ひとつ全滅したとか何とか聞いたような・・・。」
「そう・・・・・・・・・。」
ポツリ、と神楽は呟き、俯いた。眉根を寄せしかめ面で、口元に手をやり、黙り込む。ブツブツと何かしら言っているようだが、小さすぎる声は誰にも届かない。不思議に思い、沈黙に耐えかね、シュンは頭を掻いた。
「なぁ、なんでこんなこと知りたがるんだ?」
「・・・・・・。」
「そういや、お前たしかさ、観光かつ"仕事"って言ったよな。なんか関係あんのか?」
「・・・・・・・・・。」
神楽は黙り込んだまま、さっきから微動だにしない。シュンは溜め息をついた。
「・・・なぁ、おい。聞こえてるか?」
「うん、聞こえてる。」
応答は簡潔で、予想外にもはっきり返ってきた。ちょっと驚いて閉口したシュン。神楽は顔を上げた。あまりに真剣な眼差しに、(初めて見たな・・・。)と思ってしまい、ついさっき出会ったということを一瞬忘れた。
「でもごめん、答える前に、もうちょい教えて。まず、疫病にかかると、熱は出る?」
「いや、出ない。咳と鼻水だけなんだ。」
「ふむ。じゃあ、次。雨乞い以外の礼拝ってやってる?」
「いや・・・。そういえば、聖書が変わった時に廃止されたな、確か。」
質問をひとつするごとに、神楽の顔はどんどん険しくなっていく。
「次。雨は最後に降ってから何ヶ月?」
「・・・・・・半年くらいかな。」
「最後の雨は雨乞いして降った?」
「あぁ、確かな。」
「じゃ、最後・・・・・・・・・。」
そこでようやく、神楽はシュンの目を真っ直ぐに見た。紫色の瞳が怪しく輝いているように見えた。
「次の満月は、いつ?」
シュンは少し考えた。昨日の夜はどうだっただろうか。思い出す。昨日は確か・・・・・・満月ではなかった。十六夜か?いや、・・・逆だ。そうだ、宵待月だった。明日だな、と思ったんだ。だから、
「今日だな。」
「はぁ?な、なんだって?」
「だから、今日。」
神楽の顔色が変わった。
勢いよく立ち上がり、シュンに詰め寄る。「日没まであと何時間?!ここから神殿まではどれくらい?!月は何時頃でるっ?!」
どんどん近付いてくる神楽に合わせて距離を取ろうとしたシュンだが、後ろの枯れ井戸に阻まれる。シュンは堪らず、神楽の両肩を押さえた。
「おぉ、落ち着け、一旦落ち着け神楽!んないっぺんには答えらんねぇよ。」
「じゃあ、歩きながら教えて!時間が無い!」
「わかった!わかったから顔を近付けんなっ!」
シュンがそう叫んで、神楽はようやく我に返った。あぁごめん、と、謝っているようにはまったく聞こえない声音で言い、顔を離す。同時にシュンも神楽の肩から手を離し――――――――顔の代わりと言わんばかりに、下ろされかけたその手を神楽が掴んだ。
「うおぉ?!」
「さ、早いとこ行こう!」
「ちょ、・・・おい、コラッ!」
引き摺り引き摺られて走り出した二人。あっという間に路地を抜け、もと進むはずだった道へ再び、足を踏み入れた。いきなりの疾走に体勢を崩されていたシュンも、きちんと立て直して並走し始める。
神楽が叫んだ。
「で、教えて、さっきの!」
シュンは少々憮然とした表情をしていたが、素直に答える。
「まず、日没!あと大体3時間くらい!神殿まで、このまま走れば2時間もかかんねぇよ!月の出はこの時期、日没から約1時間後!」
以上!と叩きつけるように告げたシュン。神楽はシュンを一瞥すらせず、唇を尖らせた。間に合うかなーめんどいなーとその口が呟く。
そんな様子の神楽を横目に、いい加減腹に据えかねたのか、怒鳴るようにシュンが言う。
「おい、今度はこっちの番だ!お前は一体何者だっ?何がしたい!」
その問いに、神楽はシュンを見てニヤリと笑った。いたずら坊主みたいな顔だ、とシュンは思った。神楽は走るスピードを緩めることなく、やけに芝居がかった口調と言い回しで、歌うように言った。
「我が名は神楽!聖廉信仰協会より命を拝し、全ての神々及び信仰の代弁者にして預言者、依り代にして器、そして断罪者として世界を巡礼し、全ての宗教と信者たちに正しき知恵を授ける者、"神の司"だ!!」
シュンは呆然とした。盛大に聞き違えたかとも思った。どちらかが暑さで狂ってしまったのかとも。
しかし、神楽は笑ってはいるものの至って真剣な表情で、シュン自身の耳も「狂ってなどいない。」と主張する。
「・・・・・・神の、司?」
「ん、そだよ。」
「マジで?」
「おう、もちろん。」
シュンは自分の中で、これまでにないほど最速で百科事典を捲った。
【神の司】(かみ・の・つかさ)
世界最大の権力を有する聖廉信仰協会によって任命され、世界中で起こる、宗教に関する問題の解決を一手に任されている、聖人的存在。絶対中立を守り、相手の地位に影響されることなく、断罪できる権利を持つ。世界各国を徒歩で巡る、聖職者の最高峰。ただし、この称号を手にするためには、全ての言語の習得や、神寄せ・神宿りなどの特殊技能を身に付けた後、聖廉信仰協会の十二聖者全員に認められる必要がある。今現在、称号を得て実際に活動しているのは、5名程度。
(・・・・・・・・・その、5人のうちの一人がコイツっ?!)
シュンは思わず、自分の横を走る、この小柄で美しい少女をまじまじと見詰めた。
神楽はまた、ニヤリと笑った。
「信じらんないだろ?」
もちろん、とシュンは言いたかったのだが、どうにも口が上手く動かなかった。それで、小さな間が空いた後、最初に言おうと思ったこととは違った言葉が滑りでたのであった。
「いや、信じるよ、今から。」
今度は神楽が黙る番だった。仕返しだとでも言いたげに、シュンはニヤリと笑った。
「少なくとも、そこらへんの似非宗教よりは信じられる。」
「・・・・・・それ、信じてないのと同義なんじゃ?」
シュンは鼻で笑った。
「宗教嫌いの俺にとっては最っ高の信仰だ。」
「・・・・・・そう来たか。なるほどねー。」
神楽も笑った。いたずら坊主のようではなく、目と唇が同じように弧を描いた、幸せそうな猫の笑顔だ。一番、神楽らしい表情に思えた。しかしシュンは、照れていたのか前ばかりを見ていて、その顔を見逃した。
「じゃ、その信仰心にお応えしなきゃあ、ねっ!」
と、神楽は走るスピードを上げたのであった。