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前編

 


 一人の旅人が、砂漠で倒れていた。



「・・・・・・・・・。」

 どこからどう見ても行き倒れた様子で、顔を砂に(うず)めているその物体を、駱駝(らくだ)を連れた青年は一瞥して通り過ぎた。腰に下げた剣が、カチャリと音をたてた。

(間に合わんな、これは。)

 まだ白骨化はしていないから、死んだのはそう前ではないだろう。ところが、すぐ近くを通った青年の影にも何の反応も示さなかった。意識がないのだろう。助けてやりたいのはやまやまだが、まだ息があっても、意識が無いなら、もう時間の問題だ。助けても、街に着くまでに息絶えてしまう。


 砂漠には――――――特にここ、世界で最大規模の『ハザーヴ砂漠』は――――――死体が多い。襤褸(ぼろ)切れを纏った白骨死体なんて、そこらじゅうにゴロゴロしている。

 この場所で行き倒れた旅人には、死肉を獣に貪られ、もれなく綺麗な骸骨となれる運命が待っている。良いのか悪いのかは微妙なところだが、ここの獣は死肉が大の好物なので、腐った肉片が転がっていることなどあり得ない。おかげで、砂漠をよく通る地元民たちは、腐乱した骸を見ることなく過ごせている。


 さて、旅人の前を通り過ぎた(くだん)の青年だが、

「う・・・・・・くぅぅっ・・・。」

 という、小さな呻き声を聞いて、立ち止まった。振り返れば、死んでいるとばかり思っていた旅人が上体を起こしている。青年はゆっくりと、その旅人に近付いた。

 旅人は、何故かその場に座り込んだまま、目の前に立つ青年の姿にも気付かない様子で、頭を振っている。

 仕方がないので、青年はその人に声をかけた。

「・・・・・・・・・おい、大丈夫か?」

「んぁ?」

 声に反応して、旅人が顔を上げた。

 青年はひどく驚いた。どれくらい驚いたのかというと、もしもこの時に飴が口の中にあったのなら、どれだけ大きくともそのまま飲み込んでいたくらいだ。

 初めて視界に入ったその旅人の顔は、砂で汚れてはいたものの――――――パッチリとした丸い目。見慣れない紫色の瞳。砂粒が乗るほど長く反った睫毛。肌は白く陶器のよう。唇は小さくも艶やかで、程よく紅く色付いている。目も鼻も口も全て、完璧なバランスで配置されていた。スッ、と通った輪郭は、砂漠の暑さを忘れさせるほど涼やかだ・・・・・・被っていたフードが、ふと、背中に落ちた。肩口でざんばらに切られた黒髪は、白い肌を余計に白く魅せ・・・――――――文句なしに、美人だった。

 青年は思わず、その、神の御加護を一身に受けているかのような美貌を、まじまじと見詰めた。

(なんだコイツ・・・・・・。)

 青年は、初めて"美人"という言葉を本当の意味で理解した気がした。

 旅人は旅人で、自分を覗き込んでいる青年の、緑色の瞳をじぃっと見上げて――――――――――唐突に、口を開いた。

 何かと思って身を引いた青年。旅人は、その目の前で大きく口を広げ、盛大に、それはもう豪快に、綺麗な顔を思いっきり歪めて、大欠伸をした。

 呆気に取られた青年の前で、旅人は涙を滲ませた目を擦り、言った。


「あぁー何か寝過ぎたかな。腹減った。ねぇ、街ってどっち?」


                     ◇


 それから半刻(約1時間)ほど後、一人の地元民が、街の外れの食堂にかなりの美人を連れて現れた。屋外に並ぶ丸いテーブルのひとつを、色とりどりの料理で埋めつくし、喜色満面でフォークを握っているのは旅する美人。その向かいで、美人に向けるには相応しくない苦い顔をしているのが、青年である。

「あーうまっ。うまい!最っ高だね!」

「・・・・・・なあ。」

「あっはー!こんなまともな飯ってひゃんひちふりやらう。」

「なぁー・・・・・・。」

「っ、ふあぁ、幸せ~。It's so delicious!いと旨し!」

「なぁってば、おい!」

「お、これいいな。これ私好きだ。・・・・・・・・・うまぁ、うまうまぁ。」

「・・・・・・・・・。」

 青年は大きく溜め息をついて、呆れやら諦めやら、とにかくうんざりしつつある感情を、全部まとめて吐き出した。



 旅人の食事が終わったのは、それからさらに四半刻(30分)を過ぎた頃であった。

「御馳走様でした!」

 パンッと両手を合わせて、祈るようなポーズで高らかに宣言した旅人を、青年は訝しげに見た。手を合わせ食事に礼を言うのは、ここら辺にはない習慣だ。

(・・・・・・まぁ、旅人だしな。)

 そう、自分を納得させて、青年は改めて声をかけた。

「なぁ、おい・・・・・・お前。」

「・・・・・・ん?私のこと?」

「あんた以外に誰がいんだよ・・・。」

 どうやらこの女、外見も中身も他とは一線を画しているようだ。もちろん、正反対の意味で。

「どこから来たんだ?」

「んー・・・。生まれは東洋で、そこから中央(セントラル)にしばらくいて・・・・・・ここに来る前は、ガカイに居たかな。」

 "ガカイ"、とは、ここから真っ直ぐ西に進み、砂漠を越えた先にある海に面した国だ。中央とは、ここより北にある地域一帯のことで、作者が知っている名前では欧州(ヨーロッパ)と呼ばれている。東洋は、ここよりずっとずっとずっと東の地域を指し、中でも特に、その海に浮かぶ小さな島国のことをいう。

「へぇ、東洋人か・・・。」

「ん、そだよー。名前は神楽(かぐら)。よろしく。あんさんは?」

「俺か?俺は・・・シュン。」

 青年――――シュンは、何故か嫌そうにそう名乗って、そっぽを向いた。

「それってあだ名?」

 シュンはビクリと肩を震わせた。図星を突かれたようだ。チラリと神楽を見て、またあらぬ方を見遣る。

「・・・そうだよ。本当は」

「あぁ、いや、いいよ、言わなくて。」

 遮られ、思わず神楽に向き直った青年に、喋らなければまるで絵画の中からそのまま出てきたかのような美貌が微笑んだ。

「本名ってのはそんな簡単に明かしていいもんじゃないし、あだ名でもなんでもあんさんを示すことに変わりはないからね。別に、構わないよ。」

「・・・・・・・・・そう、か。」

 シュンは、毒気を抜かれて呆けたように返事をした。

「本名、嫌いなの?」

「あぁ。嫌いだ。」

「ってことは、信仰してない?」

「ん。・・・よくわかったな。」

「この辺の宗教って、"シィバラ教"でしょ?確か、名前は神から頂く、っていう考えが強かったよね。その名前が嫌いなら、神様のことも嫌いってことじゃん。」

「まぁ、確かにそうなるな。」

「でしょ?」

 ニヒヒと笑ったその笑顔は、大人びた顔立ちに似合わず子供っぽかったが、人目を惹き付ける。

 事実、周りでチラチラと様子をうかがっていた人々が、その目を釘付けにされ頬を赤らめる。微動だにしなかったのは、真正面からその笑みを受けたシュンくらいのものだ。

「・・・・・・で、何しにここへ?こんなところじゃあ、観光するような場所もないぞ?」

「んー、まぁ、観光かつ仕事って感じかな。シュンは、これから暇?」

「・・・一応、することはないけど。」

「じゃあ、ちょっと案内してくんない?!」

 勢い込んで身を乗り出す神楽に対し、シュンはそこはかとなく嫌な予感を感じながら、「何処へ?」と聞いた。

 神楽はヘラヘラと笑いながら、シュンの宗教嫌いを重々理解した上でこう言った。


「シィーバルの神殿に!」


 衆目の中心にいる所為で、ざけんな、と、叫びたくも叫べない青年が頭を抱えた。


                      ◇


 "シィバラ教"

 砂漠の王国ハザーヴの国民、ほぼ全員が信じている宗教だ。

 日照りを司る絶対神シィヴェインによって、雨を犠牲にし、疫病をもたらす悪鬼オンブルから護られていると信じられている。シィヴェインを信じることで、砂漠の象徴である太陽の加護を受け、人々は死後 楽園に案内され生前の思い残しを解消した後、新たな命を授かると言われる。

 人々は月に一度の礼拝を欠かさず行い、太陽を写す鏡と、日の加護を詰め込んだパンと麦酒を捧げる。

 反対に雨が欲しい時は、月を模した半分の鏡と寝前酒である葡萄酒を捧げ、お香を焚いて、眠りに就いてもらう。シィヴェインが眠ると、日は陰り雨が降るのである。

                      ◇


 そんな神を祭っているシィーバル神殿は、ハザーヴ王国首都・ハジィバラにあった。


 そこへ続く道を、二人の男女が歩いている。

 ターバンを巻き、マントを羽織り、簡素な麻の服に身を包んでいるのは青年・シュン。炎天下であるにも関わらず、緑の瞳は涼しげだ。さすが地元民である。暑さには慣れているのだろう。

 対する女の方は、神楽。暑さに耐えかね、羽織っていたマントは既に手に抱えられていた。2枚3枚と重ねて着る東洋の着物は、この地域を歩くには適していない。神楽の服は、旅用に本来のものよりだいぶ簡素にされているとはいえ、かなり暑そうである。黒い前掛けが、日差しを余計に取り込み、暑さを助長していた。

「あー・・・・・・あぢぃー・・・。」

「おい、大丈夫か?」

「んー・・・・・・。」

 そうとうヘバっている様子の神楽に、二三歩前を歩いていたシュンは立ち止まった。神楽も二三歩後ろで立ち止まり、下を向く。

 ハザーヴ郊外の食堂を出て、一刻(2時間)が経過していた。時刻は正午を回り、一日で一番暑い時間帯に入っている。

 膝に手を突き息を整える神楽を見下ろして、シュンは無情に宣告した。

「悪いが、水は無いぞ。砂漠だからな。」

「んな、殺生な・・・・・・。雨とか、降らないの?」

「ここ最近はまったくないな。水はもうほとんど尽きてる。」

「・・・・・・あんたら、よく生きてんね・・・。」

「慣れてんだよ。それに、果物やら酒やらは多少残ってるからな。そいつでどうにか凌いでる。」

「雨乞いとかしないの?」

 何気なく、しかし、流れとしてはごく自然なものとして発せられた問いに、シュンは息を詰まらせた。不自然な間が空く。

「・・・・・・さぁな。そろそろすんじゃねえの?」

 神楽の耳にはその時のシュンの声が、どこか痛みを堪えているように聞こえた。地雷の気配をしっかり感じておきながら、まったく感じていない風を装って神楽は尋ねる。

「シィバラ教の雨乞いって、どうやるの?」

「・・・・・・・・・。」

 シュンの時間が止まった。冷静で力強い青年の姿が掻き消え、独りぼっちで雨にうたれ泣き出す寸前の子供の姿に変わる。もちろん、それは神楽が捉えた印象の話であり、そんな姿は一瞬で消え去った。そこには先と変わらず、しかし何かから取り残されたように立ち尽くすシュンが、空を見上げている。

「・・・・・・あれは、人殺しの儀式だ。神は、俺から、家族を奪った。」

 シュンは目線を空から落として、真っ直ぐに自分を見ている神楽を睨むように見詰め返した。

「だから俺は、神を嫌う。血塗れの神へ祈る言葉なんて無い。そんなもんの加護なんか要らない。なのに、皆祈るんだ。自分の娘を亡くすことになっても、妹を亡くすことになっても、恋人を亡くすことになっても、神を拝むんだ。目にも映らない、ただの偶像にさ。雨を求めて・・・。」

 吐き捨てるように独白しながら、シュンは不思議に思っていた。何故、初対面の女にこんなことを話しているのだろう。今まで誰にも言わなかったことを言っているのだろう。何故――――――――こんなにも、悲しいだろう。青年は、自分自身の心の形がわからなかった。ところが、形は無くとも色は有るのだ。それは深い黒色をしていた。目にも映らないのに、そのことは何故か、よくわかった。

「聞きたいのか?雨乞いの儀式の、やり方を。」

 泣くような挑むようなシュンの目に対し、神楽は怯むことなくしっかりと頷いた。

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