序幕
世界に、科学はほとんど無かった。代わりに、魔法があった。
世界に、ネットワークは無かった。代わりに、旅人と言葉があった。
世界に、キリスト教は無かった。代わりに、十二神信仰があった。
世界は満ち足りていた。
今より数百年前――――――世界を作り、今もなお見守り続けている十二の女神は、絶えない争いと貧困に頭を抱え、どうにかしたいと考えに考え抜いた挙句、
「言葉を統一したらどうだろう。」(正確には、「言葉ってさ、みんなおんなじ方が、いろいろ楽じゃね?」というような言い方だったが。)
という提案のもと、新たな言葉を作り出した。"全世界共通語"である。
そして、十二人の人間を世界各国から選び出し、神の使いとして布教に回らせ、新しい言葉は世界に浸透していったのだ。今や、共通語のほうが主流になっている。だって便利だし。これさえ使えれば、世界旅行にも困らないのである。旅人は急増した。反対に、それまで使ってきた言葉は、徐々に廃れつつあった。
今まで使ってきた言葉をまったく無くしてしまうのは惜しい。女神たちはそう思った。
そこで出来たのが、"魔法"だ。
十二神は、魔法を人々に与え、それを土着の言葉――――言語によって、発動させるようにした。そしてそれをまた、選んだ三人の人間に、布教して回らせたのである。
その成果は実を結び、今や世界では、魔法使いでなくとも、共通語と言語との、両方を扱う者が増えつつある。
物語の始まりは、そんな世界の片隅の国から起きた。
ハザーヴ王国。砂漠の国だ。
南アフリカ大陸――――――――――この世界で言うところの、"下中央"地域(通称"アンダー")にあり、世界最大規模の砂漠の中心で栄えた王国である。
その砂漠に、一人の青年が船とともにいた。伝統的な、日差しと砂ぼこりを防ぐ衣装で、黙々と歩いている。午前の砂漠は、正午ほどでは無くとも、既に暑かった。
しばらく歩き続けた青年は、不意に方向を変え、砂丘をひとつふたつ越えたところで、立ち止まった。
その場にしゃがみ、熱をもった砂に触れる。踞り俯いたその姿は、何故か泣いているように見えた。
実際には、涙が砂を湿らせることはなく、しばらくの後、立ち上がると、もと来た道を戻りだす。
岩場の影に、獣の気配がする。青年は腰に下げた剣に軽く触れながら、足を少しだけ速めた。
もと来た道は道なのだが、ひとつだけ・・・・・・往路と復路とで、大きな変化があった。
少し先に、何か、見慣れない、しかし青年にとっては見慣れている、謎の物体がある。
青年はある種の確信を持って、そちらに近付いた。行き倒れた旅人は助けるのが、この国の礼儀だ。
彼は、このあと、この旅人を助け、人生を変える。
運命の女神のイタズラか、幸運の女神の微笑みか、酒盛の女神の気まぐれか・・・――――――――――思いもよらなかったこの出会いが、偶然か故意的かは分からないが、少なくとも二人の人生を変えた。
作者は遠くから、その様子を見させてもらうことにする。