本編
「『お誕生日』おめでとう、ディオ!」
亡き両親に代わり、齢二十四にしてユーリー家当主兼この地の領主であるアリアドネは、手作りのクラッカーを、日付が変わったのと同時にぱぁんと打ち鳴らした。
「アリアドネ義姉さん、僕、お陰様で成人しました!」
石造りの小ぢんまりとした研究所は我らがささやかな領主城も兼ねており、私がプレゼントしたばかりの白衣を纏った美しい男性は、涙を流しながら、その骨ばった手を胸の前で組んだ。
もっとも、普段は長い前髪で顔を隠しているけれど。
「この刺繍も義姉さん自ずからですよね!? 嬉しいなぁ、変わらず器用ですね!」
「ああ、こういうのは反復と慣れだろ! うう、なんだか、でもすまないな……。うちに金銭の余裕がないばかりに……」
生業である研究の合間に少しずつ進めていたが、間に合ってよかった。
儚く消し飛ぶ睡眠時間も、これで報われるというものだ。
――ディオ・ユーリー。
血の繋がらない、私の義理の弟。
感涙に咽ぶようなディオの様子に、内心ほっと息をつく。
ユーリー家は、我が国にしては先進的な思想を持った家柄で、家は能力があれば女性でも継げる。
ディオは領主になるために連れてこられた子ではなく……実は触手持ちの魔物、だ。
父母がある日保護して連れてきたディオ、と名付けられた彼。
感覚はどこか浮世離れしているところもあるが、真っ直ぐでおおらか。
私にとにかく懐いてくれ、すぐに仲良くなれた。
とても利発でもあったディオは、今では私の、領民が暮らしやすくするための『加護』を織りこんだ服飾研究の手伝いをしてくれている。
『安全』を祈願した茨模様の『加護』をこめた刺繍が施された白衣の襟をうきうきと翻していた彼は、あまりに嬉しかったのか。
びゃびゃっ。
涙と共に、『背中に生えたいくつもの触手』を服の裾から迸らせた。
感情が昂ると飛び出すらしいそれは、彼の髪色と同じ水色をしており、ぬるぬるうねうねと上機嫌に蠢く。
「抜かりなく『加護』も縫いこんであるからな……すまない、ちょっといいか?」
私は途端にうずうずとしだす。だって。
だってこの触手! とってもひんやりふるふる、つやつやしており、兎角心地よいのである――!
私のあからさまな触りたいオーラを察し、ディオがくすり、とどこか困ったような笑みを浮かべた。
「はい、義姉さんの思うままに」
ひとしきりディオの触手に頬擦りし撫で回した私(ディオはたまにかわいくて高い声をあげたり、どこかこらえるような素振りはするものの、いつも私の好きにさせてくれる。大変にありがたい)。
かわいい義弟に喜んでもらえた安堵も引き金となったのか、唐突に力尽きが来てしまった。
邪魔にならぬよう後ろでお団子にまとめていた桃色の髪を解くと、そのまま、こてーん! と彼の部屋のソファへ倒れこむ。
「あああ、義姉さん〜!?」
「すまない、ディオ……。ご馳走、食べていていいか……ら……」
誕生会に向け、連日、金策に奔走しながら張りきっていたのだ。
だって、義弟は無邪気で優しく、とてもかわいらしい。
そもそも私の信条は、『領民含め身内は全員、最愛である』。
皆の喜ぶ顔が好きだ。
皆の暮らしが上向く可能性のある研究も大好き。
優しくてあたたかなひとびとが、これからも『幸せ』でありますように。
たまにおかしな主張をしにいらっしゃる近隣の高官や不思議なことを言ってくる御仁は増えたが、なぜかその次の日には忽然と消えているし……。
不思議になってディオに尋ねたことはあるが、そう言ったかたがたは、いつもディオが『少し言葉添えをすると、納得して帰ってゆかれる』そうだ。
自身の至らなさに頭を抱えるばかりだが、きちんと話しあえば、心ある同士はわかりあえるものだよな。気持ちがあたたかになる。
依然、問題は山積。
毎日忙しなくて、でも。
私は、それだけで。
「……義姉さん、お部屋まで運んでおきますね。お疲れ様です……」
「ありがと、ディオ……大好きだぞ……」
どこまでも幸せな義姉だ。
「義姉さん……義姉さんは」
意識が闇へ、静かに溶ける。
ディオが近づいてきて、華奢なからだつきに見合わず、私を軽々抱きあげて何か囁いた気がしたけれど。私には聞こえる由もなかった。
「……本当に、限りなく『不幸』な女ですね」
+++
義姉さんを部屋まで運び、高揚感を覚えつつ、僕・ディオはそっと扉を閉めました。
そのまま、いつも通り古びた簡素な城から、日付が変わったばかりの闇中をランタンも持たず出てゆきます。
僕は夜目が効くため……というより、魔物ゆえ、視覚以外にも触手から障害物までの距離や気配を感じて捉えることが可能なのですよ。
そう、『いい義弟』は『素敵で可愛い義姉さん』を困らせたりしないのです。
ゆるゆると目標物を気長に探しつつ、本日の義姉さんをダイジェストで思いだします。
ああ、なんですかあの義姉さんという天使は。愛おしすぎるでしょう。
僕があの家に来た日を毎年覚えていること。うん、天使どころじゃありませんね、現人神確定です。
僕は義姉さんのことで知らないことは義姉さんよりないのです。
僕があらゆるところに裂いた触手を潜ませ、その気配や感覚を手繰って義姉さんを『観察』していると知ったら。
義姉さんは、‘‘いけない子はお説教だ!’’と本気で怒るでしょうか。それとも‘‘ディオ、怖いぞ……!’’怯え慄くでしょうか。
そのあまりに綺麗なお心を、壊してしまうでしょうか。
義姉さんは毎年律儀に一年の暦を詳しく書きいれた自作手帳を作り、その際、僕の『誕生日』とやらを一番に書き込むこと。
義姉さんはクールな所作に合わず、朝起きるとまず『んゆぅ〜』とでも文字化すればよいのか、とにかくとてつもなく愛らしい声をあげ、伸びをすること。
その声に僕はいつか義姉さんと迎える朝を想像しているなどと、貴女は想像もしていないでしょう――。
『無邪気で無垢な義弟』は『麗しく健気な、実はとても艶やかな義姉さん』へ邪になったりしないのです。
……成人を迎えるまでは。
さて、これからどうやって――アリアドネ義姉さんを。
義姉さんからもらったばかりの白衣に手をやり、大切にひと針ひと針仕上げられた刺繍部分を、ねっとりした手つきで撫であげます。
ぶあっ、と這いでた触手が、感情の昂りにより禍々しい紫へ染まるのを感じて僕は、己の素直さに思わず苦笑を漏らしました。
僕の可愛い義姉さん。アリアドネ義姉さん。
褒めてください。
僕、ちゃんと成人まで我慢しました。
貴女は規律やルールの上に愛を注ぐ女ですから、僕だって、ちゃんと。
義姉さんを愛するため、それは尊重したかったのです。
貴女と初めて逢ったのは、十年前。四つ歳上の義姉さんが十四歳のときでしたね。
僕はすっかり絶望していたのですよ。
仲間の魔物から、研究所にだけはゆくなって言われていたから。
近づくと実験動物にされる、と。
なんということはない、あの者たちは少し体毛や爪を分けただけでご飯をもらえる……もしかしたら分け前を減らされるかもと恐れただけでした。
まあ、お世辞にも裕福とは言えない財政状況であることは端々から感じとれましたから……ただ。
誰よりも清廉で真っ直ぐでいい匂いがする、あの女性と邂逅する奇跡を遅らせたことは万死に値しますよね?
僕は人型ということもあり、保護されただけでした。
今ある限られた資源を大切に、工夫を重ねるひとびと。
協力し、支えあう領民や領主一家の心根は、どこまでも豊かでした。
ただ、過労や事故で、領主の家はうら若い娘ひとりの背にかかります。
義姉さんはいつも僕に頼りません。
というより、誰にも極力頼りません。
僕は義姉さんに楯突く輩を、少しずつ確実かつ迅速に『お掃除』することも増えました。
義姉さんはあまりに純粋すぎる。
気丈に振る舞うけれど、いつも割を食っていて、とても……『可哀想な女』。
余裕なんてないはずなのに、保護された魔物が家に来た日を『誕生日』と言いはり、お金を捻出して祝おうとする女性。
いつも疲れはて、健気で、だからこそ欲しいのです。守りたいのです、僕だけが、貴女を。
白衣の下に女性らしいしなやかさを隠し、唇は軽い保湿だけで艶やかに色づく義姉さん。
榛色をした瞳は、目の下にうっすら隈があってもきらきら綺麗に潤むような、そんな……ぞくぞくするほど、甘やかに薫る最愛。
それが、僕にとっての義姉さんです。
これからは隠しません、たとえ貴女が壊れてしまっても。
本当に僕は、どこまでも魔物でした。
……赦してくれますか?
僕だけの、とっても可哀想で愛しい女。
そんな濁った想いをにじませていると、がさがさ。微かな気配を感じとります。
……恐らくずっと見つからないようにしながらも、震えが隠せなかったのでしょう。
かなり時間がかかりましたが、ようやく見つけました♪
「いやぁ。重ね重ね、実に佳き日です……♡」
僕は最後の生き残りである、義姉さんに出逢うのが遅れたきっかけになった『かつての仲間』をばりばりと触手で捕食しながら。
何も知らず、すやすやと自室のベッドで眠っている美しい義姉さんを触手の断片で感じながら陶然と、上機嫌に笑んだのです。




