冬のサボテン
わたしがサボテンを育て始めたのは、今年の春からだった。
近所の花屋さんで店頭に並んでいたのを見て「あ、可愛いな」と思ったのと、自分の部屋があまりにも殺風景だったのと、この二つの条件がたまたまサボテンに重なった。小さな植木鉢で六百円。相場なんか知らないから、高いのか安いのかさえもわからなかった。
わたしの住む部屋はアパート二階の角部屋で、西日がこれでもかってぐらい射す。
ちょうど窓のところに低い本棚を置いていたから、その上に植木鉢を置いて夕刻に西日を浴びせた。多分サボテンとしても朝の清澄な光を浴びたいだろうと思う。なんとなく栄養がありそうだし、なんとなく植物に良さそうだし。
ましてや最近のような冬の西日ってなると、本当に頼りない。彼の故郷は冬がないから、この寒さをどう思っているんだろう。
「寒くない?」
自分でも恥ずかしかったけど、わたしはサボテンに声をかけた。
もちろん返事などない。
――本当にわたしは何をしているんだろうと思う。
その次の日、わたしは会社帰りの電車の中で居眠りをしてしまい、降りる駅を過ごしてしまった。まあ明日は休みだし早く帰る必要はないかと思ったわたしは、降りた駅の近所にある公園を一人散歩していた。
空には丸い月が懸かり、空気が少し冷える。わたしは自動販売機で缶コーヒーを買い、ブランコに座った。温かいコーヒーを飲むと、じわりと胃を溶かすような感覚を覚える。
スチール缶の中の決められたコーヒーの量。それを胃袋に流し込むときに、世の中の采配が変わる。缶の中のものは、わたしの中へ。根底にある質量は変わらないのに。
決められた日常を生きているわたし。
朝八時に起床して、十時前には会社に出勤。てきとうな笑顔を作って上司に挨拶をしたあと、モノクロの地味な書類をまとめる作業に取りかかる。右肩にホッチキスを打つときのパチンという音が個人的には好きで、無駄に芯を飛ばしたりする。夜七時には退社して、てきとうに街をぶらぶらしたあと家に帰る。今日みたいな週末は早めに帰宅して、録画しておいたテレビ番組を見たりする。
もしも世の中の質量が変わらないとしたら、退屈な日常を生きるわたしがいる一方で、世界のどこかでは驚くぐらい刺激的な毎日を送っている人がいるんだろうなと思う。それはアラスカの森の中かもしれないし、サハラ砂漠のど真ん中かもしれない。
そして、もしもわたしが刺激的な日常を手に入れることができたら、どこかの誰かはきっと退屈な日常に投げ出されるんだろう。そうでないと世界の収支が合わない。
「ここはやはり冷えますね」
隣のブランコに男の人がいた。
暗くて顔こそわからなかったが、近くにいるこの雰囲気はどこかで感じたことがある。
「だけど一方では温かい。温かさというのは、なにも気温の問題だけではないのですね」
男はそれだけ言うと、すっと立ち上がり夜の闇に帰って行った。
彼が去ったあとの隣のブランコは少しも揺れることなく、まるで実体のない空気のカタマリが乗っかっていたかのような、しんとした静寂さを残している。わたしは空っぽになった空き缶を握りしめ立ち上がった。熱を逃がしたスチール缶は不気味なくらいひんやりと冷え、わたしの掌に貼りつく。やっぱり冬は冷たい。
公園をあとにして帰りの電車に乗った。そういえば今日は十二月二十四日。クリスマス・イブ。車内に吊られたデパートのクリスマス・セールの広告で気が付いた。
幼いころは待ち遠しかった「特別な日」も、時が経つに連れて何気ない一日に変わっていく。目が覚めるとキレイに包装されたプレゼントが枕元に置かれていて、就寝前に書いておいたサンタクロースへの手紙は消えていて――すべてが素敵だった時代、何年前のことだろう。
わたしは電車を降りると、家の近くのコンビニで小さなケーキを買った。大好きなチョコレートケーキは売り切れていたから、二番目に好きなチーズケーキで我慢した。
アパートに帰ると、リプトンの紅茶をお気に入りのマグカップに入れ、チーズケーキを食べた。まだ温まっていない六畳の部屋はどこか寂しく、オレンジ色の薄明かりの中、時計の秒針だけが無機質に過ぎ去っていく。
チーズケーキに乗っかっていたヒイラギの小さな飾り。葉っぱの緑は永遠の命で、果実の赤色はキリストの血の色。そんな話をどこかで聞いた。
わたしはヒイラギをサボテンに飾った。きみの故郷にはない風習だろうけど、せめてわたしの同居人としてクリスマスのお相手をして。これでちょっとは聖夜っぽくなるかな。
朝起きると、外にはちらちら雪が降っていた。たぶんこれを粉雪と呼ぶんだろう。あまりにうっすらとしていて、昼には消えてなくなりそう。
わたしは出勤途中の駅で、また昨日の男の人を見た。たくさんの人混みの中、どうして彼を見つけられたのかわからなかったけど、気がついたときわたしは彼の背中を目で追っていた。彼を追いかけようと思ったが、乗るべき電車がすぐにやって来たし、彼はすでに人混みの中に消えていた。
電車ではなんとか席に座れた。乾いた音をたてて電車は走る。隣に座る男子高生と初老の婦人。わたしの前には吊革につかまり、分厚い文庫本を読みふける中年のサラリーマンが立っている。
十二月二十五日。世界中の人々にとって「特別な日」でも、わたしにとっては特別でも何でもない普通の一日。いつも通り満員電車に揺られて、流れてくる書類の整理をして、ホッチキスの音を少し楽しんだりするだけ。
今日は残業で帰りが少し遅くなった。会社を出たのが夜の九時過ぎで、高い空には際やかに満月が懸かっていた。流れてくる雲が月の光を少し薄めたころ、またあの男の人がわたしの前に現れた。
「メリー・クリスマス」
まるで目には見えない風のように、彼は一言そう言ってわたしのそばを過ぎて行った。どこから現われてどこに消えたかは、不思議とわからなかった。
ただ一つ、彼がわたしと出会った証拠。それがヒイラギの枝だった。くすんだ古い街灯の下、わたしの右手にはヒイラギの小枝が握られていた。ギザギザの葉っぱに、赤色の小さな果実。プラスチック製ではない本物の樹木。なんだか懐かしい香りがする。
わたしはアパートに帰って、台所の明かりをつけた。ブルーのグラスを棚から取り、水を入れてヒイラギの小枝を挿した。短い命だろうけど、わたしの部屋へようこそ。
一人ぼっちのサボテンの横に飾ってあげようと本棚に歩み寄ったとき、わたしは気が付いた。サボテンに飾ったはずの小さなヒイラギがなくなっている。本棚の裏。カーペットの上。ゴミ箱の中。辺りを探しても見当たらない。
わたしは手元のブルーのグラスへ目をやった。二千年前から愛されている、緑と赤の永遠なる命。このヒイラギをくれた男の人って――。
まさかと思ったけど、今日はなんだか奇跡を信じたいと思った。
サボテンくん、メリー・クリスマス。