8.手繰り人伝説
シン……と、執務室に沈黙が下りる。ユーリはよほど驚いているのだろう。何も言わない。だがここまで来ては引き返せず、リセラは次々と白状した。
「ミーツェは、事情があってここには来られませんでした。だから、出来損ないの私に代わりに行かせようと……」
「出来損ない……だと?」
低い声にビクッとする。やっぱり、こんなやせっぽっちの劣等品を押し付けられて彼が怒るのも当然だ。今すぐにでも気を失ってしまいたい気持ちをなんとかこらえて続ける。
「ゆ、ユーリ様は、ミーツェに求婚したんですよね? 騙していてごめんなさい。私も、皆さんがよくしてくれるからなかなか言い出すことができなくて……このまま隠し通そうかとも思いました。でも、やっぱり嘘はダメだって……誠実でいることがせめてもの償いじゃないかって……思ったんです」
泣きそうになるのを堪えながら打ち明けるリセラだったが、状況とは裏腹に心は軽くなっていくのを感じていた。
(ああ、やっと嘘をつかなくて済む。こんな素敵な人たちを騙さないでいられる)
「最後にこんな素敵なお城で過ごせて、悔いはないです……。お伝えしたいことは以上です、あとは煮るなり焼くなりどうぞ処罰を……」
出し切る頃にはいっそ清々しい気分で断罪を待つ。
罪悪感でそちらを見る事はできなかったが、ユーリが頭を抱えて前のめりに体重を預けるのは分かった。死ぬほど重たい溜息を吐かれギュッと目をつむる。だが次に聞こえてきたのは心底安堵したような声だった。
「よかった、帰りたいとか言い出すんじゃないかと……」
「え?」
聞き間違いかとそちらを向くと、ユーリは肩を震わせていた。最初は小さく笑っていたのに、次第に爆発するような笑いに変わっていく。
「くっ、くくくっ、あはははは!!」
「ゆ、ユーリ様?」
ぽかんとするリセラの前で、彼はのけ反って笑い始める。こちらにようやく振り向いた彼は、目じりに涙まで浮かべて面白そうに言った。
「何を勘違いしているんだ? 処罰なんてするわけないだろう」
「え、だって……」
リセラは頭が追い付かず、口ごもることしかできない。そんな彼女の髪をひと房すくい取ったユーリは、それに軽く唇で触れると笑みを浮かべて言った。
「リセラトゥール、俺の手繰り姫は最初からお前一人だ。妹なんぞ元より眼中にない」
名前を呼ばれてリセラは金色の目を見開く。信じられない気持ちでこう尋ねた。
「名前……私の名前知って……?」
「もちろん知ってるさ。……って、まさか、誰も名前で呼ばないから勘違いしたのか?」
ばつが悪そうに視線を逸らした領主は、口元を隠しながら謝った。
「あー、それは何というか……悪い事をした。俺が一番に名前で呼びたいから、戻るまでみんな呼ぶなと――」
「一番、に?」
「っ、とにかく」
少し赤くなったユーリはこちらを見る。優しく手を取ると真剣な顔をしてこう続けた。
「俺は最初からリセを求めてたんだ。だからお前がここにいることは何の間違いでもない。負い目を感じる必要もない。分かったか?」
「でも、どうして私を? 手繰り姫って何ですか?」
どうにも信じられなくて問いかける。自分は不吉で呪われていて、ここ数年は世間から存在を消されていたはずだ。すると彼は少し驚いたような顔をして立ち上がった。
「まさかとは思ったが、ディリング家の人間は本当に何も知らないのか。これを見ろ」
そう言って、本棚から引っ張りだしてきたのは表紙がボロボロになった一冊の本だった。手渡されたそれを手にしたリセラは悲しそうに眉尻を下げる。
「……ごめんなさい、私、文字が読めないんです」
その言葉に一瞬、ユーリも険しい顔をする。だがすぐにフッと笑うと隣に座り、表紙を開き文面を指で追いながら優しく説明してくれた。
「ざっくり言うとだな、『この国には運命の糸を紡ぐ【手繰り人】が時折現れるから、大切にしろ』という古のおとぎ話だ。聞いたことはないのか?」
「初めて聞きました。なぜ手繰り人と呼ぶのですか?」
「周囲に幸運を手繰り寄せるというから手繰り人だ。その者は輝く白銀の髪に、金の瞳をしているという」
驚いたリセラは自分の髪を手に取る。家系からはありえないこの色は伝承の影響だったというのか。こちらを愛おしそうに見つめるユーリはこう続ける。
「俺は昔から手繰り人に憧れていた。この話に出てくる彼らは皆、たとえ自分が傷つこうとも恨まず、純粋な優しい心を持ち、人のために一生懸命になれる人たちだった。アッシュから聞いたぞ、騎士とメイドたちの仲を取り持ってくれたそうじゃないか」
「あ、あれは、そうするべきだって思っただけで」
謙遜するリセラを見ていたユーリは、太陽のような笑みを浮かべると嬉しそうに言った。
「やっぱり、リセは手繰り姫だ」