6.思いやりはきっと
「姫様……」
その発言に、後からついていく侍女はとても悲しそうな顔をする。それは貴族令嬢なら当たり前の事だとは言わず、グッと何かを決意したような彼女はいきなりこちらの肩を掴んで力強く言った。
「姫様! 今日の夕飯はいっぱい食べましょうね! ロウェル領の名物をたくさん作らせますから!」
「え? えぇ、ありがとう。でも、昼間みたいに残してしまうのは申し訳ないから、スープみたいに少しずつ取り分けられるものだと嬉しいのだけれど」
「じゃあウサギ肉のシチューにしましょうか! 厨房に伝えてきますねっ」
元気に飛び出したアンナを笑顔で見送ったリセラだったが、一人になると沈んだ表情になる。
(成りすましは悪いことだと分かっているけれど、ここの人たちは温かくて優しい……ごめんなさい……もう少しだけ……)
***
この城で働く者たちは、皆ユーリと同年代の若者ばかりだ。
不思議に思ってアンナに聞いてみたところ、ロウェル領は慣例として領主が世代交代をすると、城で働く者たちも丸ごと子世代に引き継ぐらしい。仮に自分たちで手に負えないような事態が起きた際には隠居した先代にアドバイスを求め、共に困難を乗り越えることで世代ごとの一体感を強めるのだとか。
だが今代はまだ引き継いで1年足らずのせいか、まだまだ未熟で時折子どもの喧嘩のような衝突が起こる。
ここに来て3日目の昼下がり、城内で食後の散歩をしていたリセラは、エントランスホールに差し掛かった時に正面玄関が何やら騒がしいことに気づいた。
「あぁもうっ、だから何度言ったらわかるのよ! 城の中に入るときは泥を落としてきてって言ったでしょ!」
「悪ィ悪ィ、ちょっとそこの倉庫までだからいいだろ?」
「笑ってごまかすの嫌いっ、ちょっとじゃないから!」
どうやら、外の訓練所で鍛錬を追えたらしい騎士の2人が、汚れた靴のまま城内に入ってきてしまったらしい。掃除を担当するメイド達が彼らを取り囲むようにして怒っている。
彼らはまだこちらに気づいていないようだが、ここで引き返すのも何だか気まずい。何か助けになれないかとリセラはそっと声をかけてみることにした。
「あの……何かあった?」
こちらを振り向いた彼らは、白い令嬢の姿を認めるとハッとしたように動きを止め、一斉に頭を下げた。
「姫様! これはお見苦しいところを!」
「申し訳ありません、コイツらが無遠慮に城内を汚すものですから」
確かに、磨き上げられた床にはぬかるんだ泥が靴の跡型にベタベタと付いていた。
メイドたちは味方を得たとばかりに急に活き活きしだし、騎士たちを槍玉にあげる。
「姫様からも言ってやってくれませんか、この人たちほんとガサツでしょーもないんです」
「ほんとによ。同じことを何度も言わせないで。いったい誰が掃除してると思ってるの?」
劣勢になった騎士たちはタジタジと後ずさってしまった。それを見ていたリセラは口元に手をあてしばらく考え込む。
「……」
そして何かをひらめいたように口の端を上げると、メイドに向かって尋ねる。
「ねぇ、泥を落とすときって、ブラシか何かで掻き取るの?」
「え? そうですね、この固めのブラシで靴底を擦ってから入れって、……言ってるんですけどねぇ」
聞かれた一人がブラシを手に答え、後半を騎士に向けて呆れたように言う。それを聞いたリセラはパンと手を合わせ言った。
「なら良い方法があるわ。使ってないブラシをいくつかかき集めて合体させて、上向きにして入口に置いておくの。そうすれば乗るだけで泥が落とせるんじゃないかしら」
「「……」」
斬新なアイデアに、騎士もメイドも初めはポカンとする。だが次第に沸き立つとあちこちからブラシをかき集めすぐに試作品を作りだした。
「すごいなこれ! ちょっと改良すれば上手いこといくんじゃないか?」
「それにこれなら絶対に忘れないわ、だってここに乗らなきゃ中に入れないんですもの。姫様すごいです!」
鮮やかに悩みを解決してしまったリセラに称賛の視線が集まる。実家での経験が活きて良かった、あの時はリセラの仕事量を増やすために意地悪ですぐに撤去されてしまったが、ここでなら上手く使ってくれる事だろう。
そんなことを考えながら、彼女はふわっと笑いこう続けた。
「騎士さんたちは、国境を護るために一生懸命鍛錬してくれてるのよね? 汚れるのも仕方のないことだわ。でもね、身の回りにちょっとだけ気を使ってくれると、みんなが助かると思うの。その思いやりはきっとあなたにも返って来るわ」
それを聞いて神妙な顔つきになったのは騎士だけではなかった。メイドたちも反省したように彼らをチラリと見やり、おそるおそる謝る。
「そうよね、私たちの為に頑張って鍛錬してくれているんだもの。ごめんなさい、ちょっと言い過ぎたかも……」
「いや、元はと言えば決まりを守らない俺たちが悪いんだし……」
恥ずかしそうに笑い合う彼らからは、最初のような刺々しい雰囲気は消え去っていた。良かったと喜ぶリセラは指先を合わせてこう言う。
「殴ったら殴り返されるように、親切にすれば親切が返って来るんじゃないかしら。みんなが仲良くしてくれると私も嬉しいわ」
柔らかな物言いに、その場にほんわかとした空気が広がる。
彼らが礼を言って仕事に戻っていくと、リセラはその場に一人残される。その時、脇の通路から一人の人物が出てきた。
「あぁ、こちらにいらっしゃいましたか」
「アッシュさん?」
彼とは初日に顔を合わせて以来だ。眼鏡の奥の目をにっこりと上げた彼は、指を立てて報告を上げる。
「あなたに一番に知らせておこうかと思いまして。早馬での知らせが届きましたよ、明日の昼前にはユーリ様がお戻りになるそうです」