5.魔法使いのアンナ
心底楽しそうな彼女は、有無を言わせずリセラを洗い始める。いい匂いのする香油をすり込まれながら当の本人は青ざめていた。
(どうしよう、居たたまれない……!)
こんなに手間暇かけて貰って、実は身代わりなんですなどと申し出たらどうなることか。ますますミーツェに成りすますしかないように思えてくる。
(でも……気持ちいい……)
緊張を保ち続けるには、あまりにもこの状況は心地よすぎた。湯を張った温かいお風呂に浸かれるなんて何年ぶりだろう。旅の疲れもあってかウトウトとしてしまう。頭も洗ってもらい、ぬるくて心地いい温度で泡を流されてまどろむ。
「あらあらお疲れですか、いいですよ、あとは全部こっちでやっちゃいますから。お任せください」
「ん……」
まるで幼児のように手を引かれ、リセラは肌触りのよいシルクの服を着せられる。ぼーっとしているとドレッサーの前に座らされたようだ。
「御髪が少し不揃いなので、整えさせて貰いますね」
シャキシャキと小気味よくカットする音が子守歌のように聞こえてくる。そこから少し寝てしまったようで、次に肩に手を置かれた時、リセラはハッと目を開けた。鏡の中から知らない令嬢に見返され、ぱちくりと目を瞬かせる。自分と同じ金色の瞳をしているのに、顔がはっきりと見える。くすんでもつれていた髪は丁寧に梳かれ、白く輝いて背中に流れていた。
「お目覚めですか? すみません、梳かせば梳かすほど綺麗になっていくものですから、なんだか楽しくなっちゃって。少しヘアアレンジしてもよろしいですか?」
「これ……私?」
信じられない気持ちで指先を伸ばすと、鏡の向こうの令嬢も同じく手を伸ばしてきた。アンナは満足そうに笑って頷く。
「そうですよ、姫様はとても肌が白いのでほんのり色を乗せただけでとても映えそうですね」
次の瞬間、感激したように振り返ったリセラは顔を輝かせながら彼女の手を握りしめた。
「すごいですアンナさん! 魔法みたいですっ」
「へ?」
「……あ」
勢いに任せて子どもっぽい言い方をしてしまった。それに気づいたリセラは手を離しカァァと頬を染める。
「ご、ごめんなさい、感動を伝えたかっただけなんですが、あの」
それを見ていた侍女は困ったように頬に手を当ててクルリと背を向けた。小声で何かブツブツ呟いている。
「ちょっとやだ……うちの主人可愛すぎじゃない? こんな生き物が存在していいの?」
「あの?」
不安そうなリセラに向き直り、アンナは朗らかにこう返してきた。
「姫様って、とても可愛らしい方なんですね。ですが僭越ながら一つ忠告が」
「なんでしょうか?」
「それです、それ!」
ビシィと指をさされ(本来なら不敬だが)リセラはビクッと跳ねる。そんな主人に向けてアンナはこう続けた。
「わたくし共に敬語を使う事はお止めください。気を使って下さるのは嬉しいですが、部下に対してあまりへりくだった態度ですと、姫様が外部から軽く見られてしまいます。女主人として必要な態度としてご理解ください」
そう言われても、自分なんかが偉そうな態度を取っても良いのだろうか。
(でも注意されるってことは、私が間違っているのよね)
自分は人より劣っていて常識がない、彼女が言うのならきっと正しいのだろう。
「わかったわ。気をつけま……気を付ける、わね」
「ええ、その調子です」
満足そうに頷く彼女に向けて、リセラは指先を合わせて素直な感謝を伝える。
「ありがとうアンナさ……アンナ。私は至らないところだらけだから、これからも間違っているところがあったらどんどん指摘してね」
優しく教えて貰えること自体が嬉しくて新鮮だった、実家ではすべてを察して動けと言われ、それが相手の気分次第で間違っているなんてこともザラだったから。どう動けは正解かを教えてくれるなんて、ロウェル領の人はなんて優しいのだろう。
「こんなに優しいなんて、アンナは魔法使いなだけじゃなく、天使みたいね!」
ほほ笑みながら素直な感想を伝えると、侍女は俯いて胸を抑え込んでしまった。心配すると「どっちがですか……」と、妙な呟きが返ってくる。
(ユーリ様も胸を押さえていたし……ここの人たちって、心臓が悪かったりするのかしら?)
その様子に、リセラはオロオロとしながらも的外れな心配をしていた。
***
翌日、アンナが城の中を案内してくれると言う。
身綺麗にして貰い、気分が上向きになったリセラは、嬉しそうな顔でぜひとお願いした。
しかし、その素直さ故の天然発言は、すぐさま城の中をかき乱すことになる。
「本当にこんなに食べていいの……? 私、こんなにおいしい物を食べたのは生まれて初めて……」
軽い昼食を前にして、まるで王様の晩餐会か何かのように顔を輝かせ、
「ここのお花は全部あなたが育てたの? とても綺麗。愛情をこめてお世話をしているのね」
色とりどりの庭を案内されると、庭師を尊敬のまなざしで見つめ、
「このお城がどこも綺麗なのは、あなたが誇りをもって仕事をしているからなんだわ」
たとえどんなに新入りのメイドだとしても、声をかけ地味な仕事をねぎらった。
だいたい一回り挨拶をし終えた後、リセラは廊下を歩きながらご機嫌に言った。
「ねぇアンナ、ここの人たちって、声をかけるとみんな笑顔で応えてくれるのね。すごく嬉しい」