4.俺の嫁が可愛すぎてつらい
様子を伺いながら少し小首を傾げると、男は急に「ぐっ」と、ナイフで刺されたかのような声を漏らした。己の胸を握り込む様子に驚いてリセラが手を離すと、もう片方の手で顔を覆った彼は地を這うような声でこう返す。
「……。……5日で戻る」
「ひっ……!?」
それだけを言い残し、振り向かず行ってしまった。取り残されたリセラはおろおろと青ざめる。
(な、何か気に障るような事を言ってしまった? 5日で戻りお前を処刑してやるぞという事?)
「さぁ姫様、旅の疲れを癒しましょうね」
うろたえているとメイドたちが脇を取る。不安でいっぱいの客人は城へと連行されていった。
***
リセラが死にそうな顔をしている一方、街から出たユーリは城壁に手をつきながら鉛よりも重たい溜息をついていた。ひどく深刻な顔をして呟く。
「俺の嫁が可愛すぎてつらい」
「まだ嫁じゃありませんよー、誤認は良くありませんねー」
側にいた家令が薄ら笑いで訂正するが、それを意に介した様子もなくユーリはそちらにガバッと向き直った。
「アッシュ見たか! なんだあの天使は!? 神々しい白銀の髪! まつ毛は長いし、持ち上げたら羽根みたいに軽いし……そして何よりあの金の瞳! 美しすぎて見つめられた時、心臓が止まるかと……! あんな奇跡みたいな存在がこの世に存在していいのか?? いや待てよ? むしろ彼女をモデルにして天使という概念が作られた可能性が……?」
「見事なまでに即堕ちですねー」
フランクな口調で主を貶める家令だったが、その言葉にハッとした領主は顎に手をやりシリアスな表情を取った。非常に整った顔立ちなのでそれだけで絵になるのが何とも腹立たしい。
「まずいな、あまりデレデレした態度を見せても幻滅されてしまうか? だが俺はあの可愛さを前に平然として居られる自信がない……どうしたらいいんだ」
アッシュは思う。彼のことは幼いころから知っているが、惚れた女を前にするとこれだけ面白くなるとは思わなかった。心の中で大笑いしていた家令だったが、表面上は落ち着いて空気を変えた。少し冷えた声でこう続ける。
「しかし、いくら天使にしてもあの細さは気になりましたね。立ち振る舞いの不慣れさといい、実家では相当な扱いを受けてきたのでは?」
「……」
その言葉にユーリのまなざしがスゥッと細くなる。纏う雰囲気を変えた彼は氷のような声でこう指示を出した。
「ディリング家への調査を増やせ。場合によっては国への報告もする」
「かしこまりました、こちらのことはお任せください」
ここで待たせていた馬に軽々と跨ったユーリは、人好きのする表情に戻り軽く笑った。
「さて、気は進まないが仕方ない。行ってくるか」
「浮かれてヘマをしないように気を付けてくださいね」
「心配するな」
ニッコリと笑った領主は剣の柄に触れると握り込んだ。ミシッときしむ音が響く。
「愛する天使が家で待っているんだ。大事な初日をブチ壊してくれた魔獣には、きっちり引導を渡して来ないとな」
「……」
ご武運を、と見送った領主の右腕は、頭の中で諸々の予定を組みなおすことにした。
「あの様子なら、本当に5日で帰って来てしまうだろうな……」
***
ユーリと別れた後、リセラは城へと連行――もとい案内され当惑していた。
「こちらが姫様のお部屋になります」
通されたのは城の中でも高い位置にある豪華絢爛な一室だった。今まで過ごしてきたディリング家のどの部屋よりも広く、壁際に置かれたふかふかのベッドには天蓋まで掛けられている。寒さに震えながら固い床で丸まって寝ていた昨日までとは文字通り天と地ほどの差だ。
「あ、あの……本当にここが私の部屋で合ってます?」
「そうですよ? 何かお気に召しませんか?」
「いえっ! すごいです素晴らしいです! ただ間違えてるんじゃないかと思って……」
あわあわと両手をまじえて説明しようとするリセラに対して、赤茶色のクセッ毛をハーフアップにしたメイドはクスッと笑った。少し背の高い彼女は、人懐こそうな笑みを浮かべて背筋を伸ばす。
「申し遅れました、わたくしメイドのアンナと申します。姫様の側仕えとして身の回りのお世話をさせて頂きますので、どうぞよろしくお願いします」
「あ、こちらこそ……」
腰を折る彼女に同じく頭を下げようとしたところでガッと肩を掴まれる。固まるリセラを正面から見つめ、アンナはやけにキラキラした瞳で見てきた。
「早速ですが姫様! 旅の疲れを癒しましょう、湯殿はすでに用意してありますのでこちらに」
「え、え、え」
部屋続きになっているバスルームに引きずり込まれたリセラは、抵抗する間もなくドレスを剥ぎ取られ、ほこほこと湯気を立てるバスタブへ放り込まれた。アンナは高級そうな石鹸やバスブラシなどを取り出してきては次々に並べていく。
「ユーリ様より、姫様に関しては金に糸目をつけるなと賜っているんです。さぁ綺麗に致しましょう!」