27.決別
それまでのか弱い印象からは考えられないほど凛とした声に、周りの者たちは気迫に押される。だが、気を取り直した父は拳を振り上げて再び暴力をチラつかせた。
「なぜ従わない! 貴族の娘など親の政治道具に過ぎんのだぞっ」
「そうよリセラ! いつも言い聞かせていたでしょう! あなたは出来損ないなんだから大人しく従っていればいいの」
そう『出来損ない』。その言葉がキーワードだった。従わせるため、幼い頃から何度もすり込まれてきた洗脳はいつもその言葉と共にあった。今でも「いう事を聞かなければ殴られる」と、心のどこかで幼いリセラが恐怖で涙している。だが、ふいにユーリの温かな言葉が耳もとで聞こえたような気がした。
――きっと子どもの頃にリセは自尊心を根元から摘まれてしまったんだろうな。
――大丈夫だ、今はまだ信じられなくても種を植えればきっと芽吹く。
あの時、埋めてもらった小さな種は確かに育ち、自分という存在を形作ってくれた。
――自分を愛してやれ、バチは当たらないはずだから。
「聞いているの! リセラ!」
母親の金切り声に意識を戻したリセラは、勇ましく言った。
「いいえ、私は出来損ないなんかじゃない。都合のいい道具でも、ましてや身代わりでもない。尊重されるべき一人の人間です!」
立ち上がり堂々と背筋を伸ばした姿に、虐げられていた少女の面影はどこにもなかった。少しもどもらず誇り高く告げる。
「もう私は目が覚めた、あの人はどんな私でも見捨てないと誓ってくれたから」
「ほざけ! お前は何もできない! 今に――」
「私に触れるな!」
襟元を掴もうと手を伸ばした父は、はっきりとした拒否にたじろいだ。
「な、なんだ親に向かって……」
「もうあなた達を親とは思わない。少なくとも、娘を道具扱いして虐げるような下劣な人間を私は親とは認めない」
輝く月のように美しい瞳でリセラはまっすぐに相手を見つめる。
「ロウェルで私は愛されている。それがユーリ様に救われた私の誇り、それだけは誰にも穢させない!」
シン……と、小さな小屋に沈黙が広がる。外の嵐が吹き付ける中、プッと笑ったのはそれまで壁際で静観していたミーツェスカだった。彼女はバカにしたようにキャラキャラと笑いながら手を振る。
「ワタシは愛されてるゥ! だって。じゃあしょうがないわね、『コレ』でいきましょ」
コンと足先でつついたのは、壁に立てかけてあった大きな斧だった。手下の一人に命じて構えさせると、クスクスと笑いながら指で自分のふともも辺りを指で切る仕草をする。
「パパとママのいう事を聞けない悪い子へのお仕置き。明日の出発までに心を入れ替えないようなら、まずは逃げられないように右足を一本。そこからは、あたしたちが危険な目に遭うごとに一本ずつ四肢を切り落としていきましょ」
冗談とは思えない声音にぞっとする。こちらの顔色が変わるのを見たのだろう、両親揃ってニヤニヤと笑いながらリセラを囲いだした。
「あらぁ? 今さら怖くなっちゃった? 大丈夫よ、芋虫みたいになってもあたしがちゃーんとお世話してあげるから。だってミーツェはおねえさまが大好きだもの」
「あっ!」
髪を掴んで引き倒される。上に跨った妹は心底楽しそうにこう囁いた。
「お願いしなきゃ水も飲めないような身体になったら、天使様はいったいどこまで綺麗ごとを言ってられるかしらね? 楽しみだわ」
***
その晩、柱に縄で括りつけられたリセラは必死になってそこから抜け出そうと試みていた。だが腰の辺りできつく縛られた結び目はビクともしない。ヘトヘトになったところで「そうだ」と思いつき、自分に幸運の糸を手繰り寄せようとする。
「……うそ」
ところが、何度やっても金の糸を自分に結び付けることが出来ない。手繰ろうとした時点で糸が空中に霧散してしまうのだ。ここに来て初めて、手繰り人の能力は自分のためには使えないのだと知った。
(知らなかった……)
思えば、いつも誰かの為にと幸せを願うばかりで、自分の運を引き寄せようなどと考えたこともなかった。なんという無力。『誰かの為』でなければ、まったく意味を成さない能力なのか。
そこまで考えたリセラはふと思った、もしかしたら、古の手繰り人達も同じように搾取され続けてきたのでは?
人の欲望はいつの時代も変わらない。先ほどの肉親たちのギラついた視線を思い出して身を震わせる。だから伝承が途絶えていたのではないだろうか。どの手繰り人も血なまぐさい事件に巻き込まれ、その存在を秘匿するため歴史から消されていったのでは……。
「っ……!」
醜い人の欲望に絶望しそうになるが、輝く生命力を思い出し首を振る。
(あの人は違う)
ユーリは、彼だけは違った。手繰り人に憧れ求婚し、実際にこちらがもたらす幸運を喜んではくれたが、それ以上にリセラという存在を大切に想ってくれた。能力が生命力と引き換えと知れば止めてくれて、いつだって太陽のように眩かった。名前を呼べば立ち止まって振り向いて、宝石のような青い瞳を嬉しそうに輝かせた。大きな手が、ちっぽけな自分を幾度引っ張り上げてくれたことか。
(ああ、神さま。私が居なくなってもどうか彼をお守りください、その為なら私はどうなっても――)
そこまで思いかけたところではたと気づき、「……違う」と、自然な気持ちが口から零れ落ちる。
(自分がどうなってもいいなんて、そんな自己犠牲はもうしないって誓ったじゃない)
精魂尽き果てていた身体を気力で動かし、再び拘束具を壊そうともがき始める。
(私だって幸せになりたい。諦めたくない!)




