26.ようやく気付いたの
寒い。全身が濡れそぼり、身体の芯から冷えていくようだ。
ふ、と意識が上昇して一番に思ったのは、何か幸せな夢を見ていた気がするということだった。遠い辺境の地へ嫁入りをし、温かい人たちに囲まれて、太陽のような眩しい人に愛されていた、ような。
あぁ、今日もまた両親と妹に叩かれるのだろうか。暖房など贅沢だと、震えながら冷たい床で丸くなっている。ぶるりと震えながら目を開けたリセラは、まだぼんやりとしながら視線を走らせた。妙なことにそこはディリング家の屋敷ではなく、見覚えのないどこかの小屋のようだった。
「……?」
身を起こそうとしたところでゴトリと音がし、手かせを嵌められている事に気づく。まるで重罪人のように両手首を前で固定されていた。
「!」
そこでようやく、意識を失う前の事を思い出す。そうだ、夢などではない。自分はあの家から出て、ロウェルに行って――アンナは、使用人たちはどうした!?
「あれぇ、ようやく気が付いたの?」
物音に気付いたのか、隣の部屋からミーツェが顔を出す。続いてぞろぞろと現れたのは、父と母、それに武装した男たちが6人。その中にはリセラを締め落としたあの屈強な男も居た。どうりで見覚えがあるはずだ。彼らは皆、ディリング家で屋敷の警備をしていた衛兵たちだったはず。
「アンナは! みんなは無事ですか!」
開口一番に出た心配に、ミーツェはハァ? と、顔を歪め、心底どうでもよさそうに答えた。
「知らないわよ。残りの連中ならまとめて捨ててきたし、今頃は野犬のエサにでもなってるんじゃない?」
そんなわけない。彼らにはとっさにとは言え幸運の糸を手繰り付けた。きっと無事で居てくれると……信じたい。
必死に祈りながら窓にサッと視線を走らせる。辺りはすっかり暗く、雨はまだ降り続いていた。葉擦れの音から察するにどうやらここはどこかの森の中のようだ。いったいどれだけ気を失っていたのだろう? 置かれた状況に唇を噛みしめる。馬車ごと山道から投げ落とすという乱暴な手段により、自分はまんまと攫われてしまったのだ。
「……お父さまが病気というのも、私を騙すための嘘だったのですね」
沈んだ声で確かめる。死にかけだと聞かされていた父親のオーラは、病人とは思えないほどしっかりと天に向かって伸びていた。
「やれやれ、強引に押しきればこちらに来ると思ったのだがな。まさかミーツェに逆らうとは思わなかったぞ、そのせいでお前に付き添っていたロウェルの従者たちはあんな目にあったのだ、わかっておるのか? ひどい主人だな」
「っ!」
自分が最初から大人しく付いていっていれば、アンナたちが怪我をすることもなかった?
(違う!)
自責の念に駆られそうになったところで頭を振る。酷いのは間違いなく襲撃してきた父たちだ。キッと顔を上げたリセラは気丈に声を張った。
「今すぐ私を解放して下さい。こんな目に遭わされる謂れはありません」
「そうはいかんなぁ。久しぶりの家族水要らずだ、もう少し嬉しそうな顔をしたらどうなんだ」
全員がニヤニヤと笑う中、進み出てきた母がこちらの顎に手を添える。
「私たちが反省したのは本当よ。あなたを失ってようやく気付いたの、今まで我が家に幸運を引き寄せてくれていたのはあなただったんでしょう? その証拠に、ロウェルはずいぶんと賑やかになったみたいじゃない」
「それは……領民が努力したお陰です。私は何も――」
手繰り人の能力を知られるわけにはいかない。顔を逸らしながら言うが、父は大げさに手を広げて割り込んだ。
「いいや知っているぞ! お前が触れただけで重病人が目を覚ましたらしいじゃないか。祈りを捧げれば宝石がゴロゴロと現れ、天から金の雨が降り注いだとか」
誇張された噂話にギョッとする。どれだけ話が大げさに伝わっていると言うのか。
欲望に目をギラつかせた父親は、切羽詰まったような歪んだ笑顔でこちらに手を伸ばして来る。
「な、リセラ。家族みんなで隣国へ行こう、一からやり直すんだ」
「え……」
「うちはもう駄目だ」
リセラは知る由も無かったが、ディリング家はいつの間にやら度重なる投資の失敗が祟り、部下たちに財産を持ち逃げされ、破産寸前まで追い込まれていた。あちこちから借金をしては首が回らず、夜逃げをしてきたと告げられ言葉を失う。まさかそこまで落ちぶれていたとは……。
「でも隣国へ行くなんてどうやって……」
この国は大部分を海に囲われた島国で、唯一地続きになっているのは『魔の森』を挟んだロウェルだけだ。
「……まさか」
嫌な予感に身を震わせた時、そう遠くもない場所から大型獣の遠吠えが聞こえてきた。薄ら笑いを浮かべた父は、こちらの肩を掴むと現在地を明かした。
「そう、ここはロウェルの『魔の森』だ」
なんという無謀なことを。おそらくこの様子では、ユーリが定めた安全境界線を遥かに越えて深く踏み込んでいる。息を呑むリセラを揺すり、父は命令を下す。
「さぁリセラ、まずはこの森を安全に抜けられるよう、ワシらに魔法をかけるんだ」
「考え直してくださいお父さま! 今ならまだ――」
「うるさい早くしろ!」
バチンと頬を叩かれ、言葉を失う。久しく忘れていた痛みは、とても強烈だった。
この人たちにとって、自分はどこまでいっても道具でしかないのだ。それを思い知ったリセラは奥歯をグッと噛みしめた。すぅと息を吸い込み、立ち上がる。
「な、なんだ……」
顔を上げたリセラはしっかりと目を開けていた。あんなにも忌み嫌われた金の瞳をまっすぐに向け、静かに告げる。
「お断りします、私はもうあなた達の元へは帰らないと決めたのです」




