25.この世に生み出したのは誰?
「お父さま、に?」
「ええ。実は今、無理を押してこの近くの宿まで連れてきているの。本当にすぐそこよ。あのね、お父さまは悔いておられるわ、おねえさまに謝らせて貰えたら気分的にも少しはラクになれると思うの、もしかしたらそこから体調も良くなっていくかも……」
迷うリセラは、アンナが待つ馬車の方をチラリと見る。彼女なら絶対に引き留めるに違いない。あんな家族、即刻切り捨てるべきです! と。そう思ったリセラは何とかこの場を濁そうとする。
「その……。ユーリ様とも相談して、改めて家までお見舞いに……」
「ひどいわおねえさま! 謝らせて欲しいって言ってるだけなのに! ここまで連れて来るだけでも大変だったのよっ」
「そんなこと言われても」
「よく考えて、あなたをこの世に生み出してくれたのは誰? そこまで非情になってしまったの!?」
自分は髪まで売ったのに、家から出ていったアンタは何もしていない。そう言われているような気がして息が詰まる。
「ね? いいでしょ、お願い来て……」
すがるように手を伸ばしてきたミーツェが腕に触れる。その瞬間、実家に居た頃の記憶がフラッシュバックし、無意識の内にその手をパンッと払っていた。初めて反抗した姉に妹は固まり、二人は信じられないようにお互いを見つめ合う。
「あ……、さ、さよならっ」
「あ!」
いち早く我に返ったのはこちらが先だった。踵を返したリセラは一目散にその場から立ち去る。待たせていた馬車までたどり着くとアンナが待っていてくれた。その姿を見た途端、全身の力が抜けてへなへなと座り込んでしまう。
「わ、ちょっと、姫様!?」
膝を着く寸前で支えてもらい、そのまま馬車の中へと乗せられる。出発して帰路をたどる中、今あったことを話すと、血気盛んな侍女は声を荒げて憤慨してくれた。
「そんなの行く義理ありませんよ! どのツラ下げてあんにゃろ~。やっぱりわたくしもついて行くべきでしたね!」
「……本当にこれで良かったのかしら。もし本当に病気だったら」
青ざめて震える主人を見たアンナは、口をつぐんでブルッと頭を振った。気を取り直したようにキリッとした顔でこう告げる。
「いいえ、真相がどうであれ、まずはよく逃げてきて下さいました。後はユーリ様の判断を仰ぎましょう」
きっぱりと言い切ってくれたことで少しホッとする。一つ頷いたリセラは窓の外を伺うが、ミーツェが追ってきている様子は無かった。
「降りそうね……」
代わりに暗雲たちこめる空が目に入る。水滴がポツリと窓に当たり、これからの荒天を予感させた。
***
公爵領からロウェルまでは山道を走り3時間ほどの距離にある。帰り道、馬車の適度な揺れと降りしきる雨の音が心地よく、リセラはアンナにもたれていつの間にかウトウトとしていた。
何か……不思議な夢を見た気がする。いつの間にか白い空間に立っているのだが、ふと手元を見るとキラキラと輝く金の糸が指に絡んでいた。いつもなら天から下がっているはずのそれは、どこかに繋がっているようで、白い霧の向こうへと消えていく。気になって手繰り寄せようとするのだが、いつまでたっても終わりが見えない。
いっそ歩いて行ってみようかと足を踏み出した――その時だった。
「!?」
突然、すさまじい轟音が鳴り響いて、引っぱたかれたように現実に叩き起こされる。
「姫様!」
わけの分からない内にアンナに抱き寄せられるのだが、ふわっと嫌な浮遊感が全身を包み込む。二人は悲鳴をあげながらどこかへと落ちていった。
天地がひっくり返ること数回、ようやく衝撃が収まったところでうめきながら身体を起こす。うっすらと目を開けると、雨に濡れる森の木々たちが見えた。どうやら気づかぬ内に車外に放り出されてしまったようだ。
辺りを見れば、無残に壊れた馬車が落ちていて、その近くに御者と数人の護衛たちが倒れ伏している。横倒しになってもがく馬と、ぐったりとするアンナもその近くにいた。
「みんな!!」
いったい何がと混乱しながら、一番手前にいた御者に駆け寄る。視線を上げれば、通ってきたはずの山道の一部が崩れ落ちていた。どうやら馬車ごとあそこから落ちてしまったようだ。
「しっかりして! 何が起きたの!」
「リセラ様……、道が突然……爆発して」
叩きつける雨の中、リセラは次々と『金の糸』を手繰り寄せてはケガ人に結び付けていく。幸い、馬も骨折などはしていないようだ。
「アンナ、しっかり。あなたが守ってくれたのね」
「ひ、姫……様」
「喋らないで、大丈夫だから」
苦渋の表情をするアンナが眉をしかめる。振り絞るように出された次の声に、手が止まった。
「逃げ……て!」
え? と、振り向いたその時、稲妻が空を走り、いつの間にか背後まで迫っていた男のシルエットを浮かび上がらせる。そのすぐ近くにいる人物に息を呑む。
「お父さ……ぐっ!」
抵抗らしい抵抗もできずに掴み上げられたリセラは首に太い腕を回され羽交い絞めにされる。
首を締められ、こちらに手を伸ばす従者たちの叫びが遠くなっていく。抵抗虚しくカクンと全身の力が抜け、意識は深い闇の中に落ちていった……。




