2.会いたかった
一方的な虐待を、父も母も、そして使用人までもが素知らぬ顔で流している。
ひたすら謝罪するしかないリセラを最後に突き飛ばし、ようやく満足したのかミーツェはフーっと息をついた。側に来るとよき家族のように笑って優しく頭を撫でる。
「分かればいいのよ。ほらおねえさま、いつものように繰り返して? 『私は無能の出来損ないです』」
「わ、私は無能の出来損ないです……」
「『頭も悪くて何の取り柄もありません』」
「頭も悪くて……何の取り柄もありません……」
「『そんなグズでのろまな私でも愛してくれる家族が大好きです』」
「グズでのろまな私でも……愛してくれる家族が大好きです……」
「ほら決まり! 大好きなあたしたちのために行ってくれるわよね?」
パチンと両手を合わせたミーツェを皮切りに、両親もその方向で動き出す。
「そうと決まれば早速返事を書かないとなぁ」
「しかし相変わらず貧相ね。暗くて愛想の欠片もないし。少しはミーツェの明るさを見習ったらどうなの。まったく、どうして姉妹でここまで差が出るのかしら。可愛くないわねぇ」
「いい? 何としてもロウェル卿に気に入られるのよ。のこのこ帰ってきたらタダじゃおかないんだから」
自分に拒否権などない。それに気づいたリセラはドクドクと逸る心臓を押さえ、呑み込まれそうになる不安を必死に抑え込んでいた。
***
両家の話し合いは滞りなく進み、あっと言う間にリセラはロウェル領に輿入れすることに決まった。姑息な事に両親は、花嫁がミーツェではない事を隠すため「うちの娘」や「愛娘」という文言で押し通したらしい。
(どうしよう、いよいよここまで来てしまった……)
粗末な馬車でガタゴトと揺れる彼女の身なりは、多少整えられてはいたがそれでも嫁入りをする令嬢にはとても見えなかった。櫛を通しただけの下ろした髪、装飾品は一切なし、手持ちのトランクは一つだけでお付きの侍女も居ない。ミーツェのおさがりであてがわれたドレスはサイズが合っておらず、ずり落ちる肩を何度も引き上げるはめになった。
リセラの顔が青ざめているのは、何も慣れない馬車のせいだけではなかった。きっとロウェル領の人たちは美しいミーツェが出てくるのを期待しているのだろう。それが、蓋を開けて出てくるのはこんな棒っきれのような女である。もしかしたら怒った領主様から殺されてしまうかもしれない。とても野蛮で血に飢えていると聞くし。
(でも逃げちゃダメ……ここで逃げたらたくさんの人に迷惑が掛かってしまう……)
「ディリング嬢、ロウェル城に着きましたよ」
「ヒッ……!」
小さく飛び跳ねたリセラは縮こまりながら開かれていく扉をそっと見やる。カーテンを引いた馬車の中に居たので外からの光がとても眩しかった。たくさんの人たちが外でざわめく気配がする。
怖い。足が震える。だが、ここでこうしていても仕方がない。失望されるのを覚悟でリセラはおそるおそる馬車から降り立った。手で庇をつくりながら周囲を確かめようとする。
(まぶしい……)
眩んだ視界が少しずつ慣れていく。まず見えてきたのは両脇を固めるようにならんだ身なりのよい使用人たちの列だった。驚いたことに皆が嬉しそうに前のめりになっていて笑顔を浮かべている。その顔がすぐに失望に染まる――ことはなく、口々に歓迎の言葉を並べてくれているようだ。
「ようこそおいでくださいました!」「遠い所をお疲れでしょう」「旦那様はどこにいった?」
その人波に圧倒され、リセラは「あ……あの……」と、口ごもる。馬車の中に引き返したくなった、その時だった。
「よく来たな!」
よく通る朗々とした声がその場に響き、ざわめきが一瞬にして鎮まり返る。
サッと割れた人垣の向こうから現れたのは、背の高い黒髪の男性だった。動きやすく実用的な防具で身を固め、真紅の裏地のマントを翻している。
「きゃっ……!?」
颯爽と歩いてきた彼はリセラの前に立つと、軽々と抱き上げた。驚いたリセラは、普段は伏し目がちにしている金の瞳を思わず見開いてしまう。
「会いたかった、俺の手繰り姫!」
全開の笑みを浮かべてこちらを見上げる彼は、噂とは程遠い精悍な顔つきをしていた。スッと通った鼻筋に薄い唇。凛々しく引かれた眉の下にある意思の強そうな目は、サファイアのような深い青だ。均整のとれた手足は長く、服の上からでもよく鍛えられているのが見て取れる。
どんな貴婦人でも一目で見惚れてしまうような美丈夫だが、リセラは何よりもその全身から立ち上るオーラに圧倒されていた。
(なんて眩い人なんだろう)
これだけ生命力にあふれた人を見たのは初めてだった。その太陽のような輝きにすっかり魅入られていると、こちらを見上げていた男は少しだけ目を細めた。
「金色の瞳……」
「っ!」
――その不気味な目で見るなと言っただろう!
父の罵倒が蘇り、青ざめたリセラは慌てて目を閉じた。
(どうしよう、叱られる!)